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「ヴィヴェーカーナンダ」(25)

 アメリカでの布教にある程度の成功を見たヴィヴェーカーナンダは、次はヨーロッパへと目を向けました。その最初の本拠地としたのはイギリスでした。この時期、ヴィヴェーカーナンダは、1895年の9月から11月、1896年の4月から7月、そして同年の10月から12月までと、計三回にわたってイギリスを訪れました。

 ヴィヴェーカーナンダの評判はイギリスにもたちまち広まり、到着後三週間経たぬうちに、ヴィヴェーカーナンダは講演やクラスなどの活動に激しく従事するようになりました。
 すでに最初のイギリス訪問において、ヴィヴェーカーナンダは、大勢の熱心な支持者を得ることができました。その中には、ある女学校の校長であったミス・マーガレット・ノーブルもいました。
 このミス・マーガレット・ノーブルは、後にヴィヴェーカーナンダのもとで出家してシスター・ニヴェーディターとなり、インドに渡り、特にインドの女性たちの教育のために生涯をささげました。
 このニヴェーディターは、後にヴィヴェーカーナンダとの出会いのことを回想して、友人への手紙にこう書き記しました。

「もしあの方が、あのとき、ロンドンに来ていなかったなら! 私の生涯は愚かな夢のようなものになっていたでしょう。
 私は自分がいつも何かを待ち望んでいるということを知っていましたし、また神の思し召しがあるといつも言っていましたから。そして、それが実現しました。
 しかしもし私が、人生についてもっと多くのことを知っていたならば、時が来ても、たしかにそれを認めたかどうかは疑問です。幸いにも私はそれをほとんど知らなかったのですから……
 間違いなく今、私は自分に適した世界を見つけ、世界も私を必要とし、待っております。矢は弓につがえられました。――でも、もし彼が来ていなかったならば! もし彼がヒマラヤの峰々の上で瞑想にふけっていたならば! ……私は一人では決してここに来れなかったでしょう。」

 イギリスでの活動をより進めるため、ヴィヴェーカーナンダは、兄弟弟子のスワーミー・サーラダーナンダを、インドからイギリスに呼び寄せました。ヴィヴェーカーナンダの二度目のイギリス訪問時にこの二人の兄弟弟子は再会を喜び合い、サーラダーナンダはヴィヴェーカーナンダの期待通りに、優れた講演やクラスを通じて、イギリスの人々の心をつかみました。

 1896年の5月には、ヴィヴェーカーナンダはオックスフォード大学の教授であり東洋学者のマックス・ミュラーの自宅に招待されました。マックス・ミュラーはヴィヴェーカーナンダの師であるラーマクリシュナ・パラマハンサに強い興味を持っており、すでに自分が知っていた知識以上のことを、ヴィヴェーカーナンダから聞きたがりました。ヴィヴェーカーナンダは喜んでラーマクリシュナの生涯とその教えについて、多くの情報を彼に提供しました。
 マックス・ミュラーはその研究を一冊の本にまとめ、それはまもなく「ラーマクリシュナ、彼の生涯と言葉」というタイトルで出版され、ラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダの思想を英語世界に定着させる大きな一助となったのでした。

 

つづく

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