神秘の石
そう、グルを生けるブッダとして見ることによってのみ、あなた自身が生けるブッダとなる変容のプロセスが真に始まり、真に完結するのだ。悟りの生きた姿がグルの中に存在するという神秘に対して、あなたの精神と心が喜びと驚きと認知と感謝のうちにすっかり開ききったとき、そのときから、ゆっくりと何年もかけて、グルの智慧の心からあなたの心へと伝播が起こるのである。宇宙それ自体の至上の輝きを伴って、あなた自身の仏性の輝きをあますところなく解き放ちながら。
この弟子とグルの極めて密接な関係は、生と世界に対する弟子の姿勢を映し出す鏡、その生きたアナロジーとなる。
グルは【清浄な目】をたゆまず実践していく上での中心人物となるのである。つまり、あらゆる疑念を超えて一切の介在を排し、弟子がグルを生けるブッダとみなしたときに、【清浄な目】は頂点に達するのである。
グルの言葉の一つ一つを仏陀の言葉として聞き、その心を仏陀の智慧の心と思いなし、その一挙手一投足を仏陀の行為のあらわれと見、その住処をほかならぬ仏国土と感じ、その周囲の人々をもグルの智慧の光輝く顕現と見るようになったとき、それは頂点に達するのである。
このような感覚がより安定した現実のものとなってくると、弟子たちがいくつもの生に渡って心から望んできた内なる奇跡が一つまた一つと起こり始める。弟子たちはごく自然に自己を、宇宙を、すべての存在を、例外なく本来清浄で完璧なものと見るようになる。ついにリアリティを自分の目で見るようになるのである。つまり、グルが道なのだ。グルは弟子の知覚の一切を変容させる神秘の石なのである。
――ソギャル・リンポチェ