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「聖者の生涯 ナーロー」⑦(4)


◎火元素の浄化と幻身

【本文】

 ティローはまた一年間、黙って瞑想し続けました。ナーローはティローの周りを敬意を持って回り、教えを懇願しました。するとティローは、動物の脂を火で熱し、それをナーローの体に当てました。
 ティローはまた神秘的な力で傷を癒すと、ナーローに、幻身の教えを伝授しました。

 はい。今度もわけは分かりませんが、「動物の脂を火で熱し、それをナーローの体に当てた」と。まあつまり熱いわけだね、当たり前だけどね(笑)。熱い脂をガーッと当てたと(笑)。わけ分かんないでしょ(笑)? どうします? わたしがもしそれやったら(笑)。

(一同笑)

 「ちょっとKさん来て」とか言って、脂ガーッて(笑)。

(一同笑)

 「あーっ!」――あ、Kさんなら喜ぶかもしれない(笑)。

(一同笑)

 「あーっ!」とか言ってね(笑)。でも普通はちょっとわけが分からない。「何するんですか!」と(笑)。これはだからさっきからのパターンでいうと、これは火元素の浄化ね。
 でももちろん何度も言ってるけど、だからって動物の脂つけたって火元素浄化されないよ。これはあくまでもティローとナーローの関係性における話だからね。われわれにとっては一つの例に過ぎないと考えてください。
 このような感じで火元素を浄化し、で、かつ――マニプーラですね、チャクラでいうと。マニプーラ・チャクラの浄化をしましたと。
 あの、ちょっとつじつま合わせ的になるけども、さっき言った――これは全部はぴったりと合わないけども、一応合うところだけ言うとね――さっきの段階で、水元素の試練のときにチャンダーリー・ヨーガを教えたってあるけども、チャンダーリー・ヨーガの起点となるチャクラ、これはまさにスワーディシュターナ・チャクラです。この性器のところ――スワーディシュターナ・チャクラ、あるいは密教では秘密チャクラとかいって、この丹田のことをいったりするんだけど――まあとにかくこの辺のチャクラです。この辺のチャクラが水元素系ですね。
 で、この水元素系のチャクラっていうのは――これもあまり長くなるので『虹のヨーガ』とか、あと『クンダリニーヨーガ』とか読んでほしいんですが――チャクラっていろんなものと関係していて、例えば煩悩でいうと、この水元素っていうのは、さっきも出たけど性欲系なんですね。なぜこれが性欲かっていうと、つまりここは生命エネルギーの源だからです。生命エネルギーの源で、しかもわれわれはその経験として、生命力をセックスとか、けがれた喜びに使うっていう習性が多すぎるので、それによって、せっかくある生命力が性欲とかそういった非常に低い喜びに流れがちなんだね。だからそのような状態ではチャンダーリーのヨーガはできないんです。
 あの、ちょっとはっきり言いますよ。はっきりというか、重要なこと言いますが、この中で性欲が強い人がいるかもしれない。もしくは過去強かった。その人は、このエネルギーのヨーガは向いています。向いてるけども、性欲を浄化しないと達成できません。この辺が非常に矛盾があるというか、ジレンマがあるところなんだね。うん。「おれは性欲が強いから向いてるかな」っていっても、「ああ、向いてるね」と。「でもそれ、性欲なくならないと一生無理だよ」と。ね(笑)。非常にこうジレンマがあるっていうか(笑)。つまり同じものを使ってるんです。同じこの生命エネルギー。
 つまりすごく性欲があるっていう場合、もともと生命力が強い場合が多いわけですね。眠ってる生命力が強いと。でもそれがけがれてるが故に、性欲として表現されてしまう。
 つまりこれはね、別に神秘的なこと言ってるわけじゃなくて、非常に物理的な話なんです。つまり同じエネルギーを使おうとしてるわけだから、それが性欲に漏れてたら、物理的に無理なんだね。だからクンダリニーヨーガとか、あるいはチャンダーリー・ヨーガにおいては、まずもうこれは――まあみんなは大丈夫だろうけど、よくネットとかでね、こういうこと言うとショックを受ける人がいるわけだけど――クンダリニーを本当に達成したかったら、禁欲は必須です。よくわたし質問受けるんです、ネットとかでね。わたしクンダリニーヨーガとかよく書いてるから、「一番クンダリニー覚醒とか、クンダリニーの上昇とかで大事なものって何ですか?」って聞かれて「禁欲」って書くと、「え?」ってこう……(笑)。

(一同笑)

 「そこまでやる――完全にですか?」とか(笑)。

(一同笑)

 それは完全にです(笑)。ね。でもわたしは一応慰めとして、「まあ、少なくともある期間までは」とか言うわけだけど。もちろん実際は、本当に達成したかったら一生禁欲するくらいの覚悟は必要だね。
 まあ実際わたしは餌みたいな感じで、ちょっとの期間、ある一定期間はって言うわけだけど、でも実際はね、本当に覚醒したら、自然に性欲なくなります。自然に悩まされなくなります。つまり昇華されたんだね。だから心配なくなるんだけど、実際には。でもまだ性欲とかに悩まされてる段階があるとしたら、意志の力で禁欲しないと。
 ここでいう禁欲っていうのは、もちろん物理的な漏れは当たり前ですよ。それは駄目なのは当たり前だけども、精神的にも駄目です、究極的に言うと。なぜかというと、見えなくてもエネルギーは漏れてるから。つまりわれわれの心が性的なものでいっぱいになってると、スワーディシュターナ・チャクラからどんどんエネルギーが漏れるんだね。同じようにわれわれの心が怒りでいっぱいになってると、ムーラーダーラ・チャクラからどんどんエネルギーが漏れるんです。だからそういった下位の煩悩に心が支配されてると、全く駄目だと。
 で、もちろん心の問題って非常に難しいわけだけど、でも最低限――男性でいうと射精だね。つまり物理的にエネルギーを漏らしてしまう状態っていうのを避けなきゃいけない。これはだからクンダリニーヨーガを目指す場合はですよ。別にクンダリニーヨーガやらない場合は、まあそれぞれの考え方でいいかもしれないけど。クンダリニーを本当に達成したかったら禁欲は必須です。
 で、理想を言うならば、禁欲を我慢してするだけではなくて、このスワーディシュターナ・チャクラの完全浄化っていうかな。それが必要なんだね。もちろん完全浄化っていうのはなかなか難しい。だからこれはナーローの非常に高度な話だけども。われわれはだから完全浄化っていうのはまだまだ先の話だけども、やっぱりスワーディシュターナ・チャクラの浄化はある程度経験しなきゃいけないかもしれない。
 それはね、いろんなパターンで経験するかもしれないね。これは一概に言えないんでなんとも言えないんだけど、例えば性欲系のカルマが多い人っていうのは――そうですね、邪淫系のカルマが多い人は、修行始めると人間関係が悪くなる場合があります。これは男女に関わらずね。男女関係だけじゃなくて、人間関係が悪くなります。邪淫のカルマの一つのあらわれとしてですよ。みんながそうなるわけじゃない。でも一つのあわられとして、人間関係が悪くなる場合があります。
 あるいは、皮膚に出る場合があります。これも一つの例ですよ。これはだから観念的にとらえないでほしいんだけど――だから皮膚に病が出る人がみんな邪淫なのかっていうと、そうじゃないからね。違うパターンもあるから。でもまあそういうパターンもあると。皮膚に出ると。
 あるいは皮膚に限らず、いろんな形で痛みを経験させるかもしれない。っていうのは、快楽を追い求めたカルマだからね。低い快楽を追い求めたカルマによって、逆に激痛をいろんな形で経験させられる可能性もあります。
 あるいは実際にこのスワーディシュターナの辺りがすごく痛くなったりとか、そういう分かりやすい場合もあるかもしれない。
 まあいろんな形で性欲関係のカルマの浄化によってね――もちろん意識的にはしっかりと性欲を捨断し、で、より高いものを志向することによって、やっと本当の意味でチャンダーリーが始まるんだね。
 これは観念的に決まりとしてそうじゃなきゃ駄目ですよっていってるわけじゃなくて、物理的にそうしないと駄目だってことです。なぜかっていうと――これは何度も言ってるけども――クンダリニーの正体、あるいはトゥモの正体っていうのは、この生命力の逆転現象だからなんです。逆転現象――これも長くなるから簡単に言うけども――別に神秘的な特別なクンダリニーという何かがあるというよりは、このわれわれが低いことにばっかり使ってる生命力の流れが逆転した状態、その状態をクンダリニーっていってるに過ぎないんだね。あるいはトゥモっていってるのに過ぎない。その逆転現象を起こすには、完全に起こすには、今言った、特に性欲だけど――性欲、それから嫌悪、あるいは食欲――まあ食欲に関しては若干上だけども、でもまあできるならば食欲も含めた――あるいは現代でいうと金銭欲とかね。あるいは物欲とかも含めた貪り。こういったものをできるだけ少なくする。できるだけ抑えて、逆転現象を起こさせなきゃいけないんだね。
 で、次に、この火の試練を受け、そして今度幻身の教えを伝授されたって書いてあるね。幻身のヨーガ。これも『ナーローの六ヨーガ』にちょっと書いてあるけども、この幻身のヨーガに関しても、実はいろんな説があります。一般的によくいわれるのは、「この世が幻であることを悟る」とかそういう曖昧な言い方されるんだけど、実際にはこれはそうじゃなくて、まさに化身の修行ですね。これは変化身とか、あるいはもっと高度になると報身にまで辿り着くわけだけど、もう一つのわれわれのボディを作る練習をするんだね。で、この修行が幻身の修行であると。で、もちろん最終的にはさっきも言ったように、無数の化身を出すっていうレベルまでいくわけだけど、まだそこまでいかなくても、まずは一個の化身をしっかりと作り上げる練習をしたりするわけですね。これがその幻身の世界。
 そしてこの幻身の世界の入口っていうかな――は、このマニプーラ、お腹のチャクラにあるんだね。というよりも、このお腹のチャクラっていうのは霊的な世界の入り口です。だから本当の正しい修行とあまり関係のない現世的な霊能力とか、現世的なスピリチュアリズムとかに多く関わってる人。あるいは今生ではないけど過去世でそういうのにいっぱい関わってきた人は、だいたいこのマニプーラがけがれています。この場合は幻身の修行はできません。というよりも、だいたいその人っていうのは、潜在意識の世界が非常にけがれているので、表面的には楽しい人もいるかもしれないけど、その人が本当に深い瞑想に入ったら、恐ろしい世界に入ります。だからそのタイプの人は――まあそのタイプの人って実は現代では多いけどね――このマニプーラの浄化に励まなきゃいけない。そうじゃないともう幻身なんていうレベルじゃないんですね。まず潜在意識の浄化、つまり言い方を変えるとバルドの浄化に励まきゃいけない。
 だから夢見の悪い人は気をつけなきゃいけないね。夢見の悪い人は、このマニプーラがかなりけがれてると考えたらいい。夢見が悪いっていうのは、怖い夢ばっかり見るとかね。襲われる夢とか、おどろおどろしい夢をいっぱい見るっていう人は、このマニプーラがかなりけがれています。
 ただね、夢見がよくてもけがれてる場合もあるよ。夢見がいいっていうのは、夢っていうのはわれわれが本当に意識が鮮明になってきたらいろんな夢を見れるわけだけど、人によっては浅い夢しか覚えてない場合がある。浅い夢しか覚えてない場合、浅い意識ではとてもいい夢を見ると。でも深いレベルで、実は悪い夢いっぱい見てるんだけど、それはちょっと忘れてるとかね、気づいてない場合がある。だから一概にはいえないけども、でも大雑把な判断基準として、夢は一つの判断になります。
 それから深い瞑想ね。これもだから深い瞑想に入る段階までいかなきゃ駄目だけど。深い瞑想に入ったときに、怖いあるいは気持ち悪いイメージが出る。あるいは普段からそういうイメージが出る人っていると思うんだね。ホラー映画の観すぎとかそういうのもあるかもしれないけど、なんかのときにバッと気持ちの悪いイメージが出てくるとか。それもまさにこのマニプーラのけれだね。
 で、そのタイプの人っていうのは、幻身の修行っていうのはなかなかできない。あるいはこのアストラルを使った――つまり霊的世界を使った修行っていうのはなかなかできないと。よって、それはいろんな形で浄化しなきゃいけない。
 これもいろいろやり方があるから、「こうだ」とは言えないわけだけども、でも簡単に言うと、潜在意識の浄化なので、普段から良いイメージを心がけると。ね。いつもここで言ってるような変容的なイメージとかね。さっきのイメージでもいいけどね。「みんな全員、神の変化なんだ」って考えてもいいし、あるいはよく言うように、「この世界はすべて神の曼荼羅なんだ」って考えてもいい。あるいは「すべては神の愛なんだ」って考えてもいい。あるいは密教とかヨーガとかでやるような、神に変身したり、あるいはグルや神に供養したり、あるいは頭頂に神や師匠とかをイメージしたりとか、そういったイメージ系の瞑想を日々やり続けてもいい。もちろん慈悲の瞑想のような、ああいうイメージでもいいですよ。とにかくいろんな良いイメージによって、この潜在意識の世界を浄化することに励むことは、一つのいいことですね。
 もしくは別パターンとしては、徹底的に教学。あるいは徹底的な詞章やマントラ。これもいいです。これは別パターンとして、潜在意識にそのデータを入れてあげるわけですね。ひたすら――もちろんちゃんといいマントラじゃないと駄目ですけどね。強力なマントラを徹底的に唱えると。あるいは詞章ね――を徹底的に唱えると。あるいは礼拝でもいいけどね。礼拝を徹底的にやったりとか、あるいは教学ね。教学を徹底的にすると。これによってこの潜在意識に聖なるデータを徹底的にインプットすると。これもいいことだね。
 はい、こういう形で、マニプーラ及び火元素の完全なる浄化が起こらないと、霊的世界の聖なる修行はできないし、当然その先にある幻身の修行っていうのはできませんよっていうことですね。

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