熱湯
熱湯を汲んで、自分で自分にかけて、
熱い、熱い、苦しい、苦しい、と言っている人がいる。
この人が自分でその行為をやめない限りは、
いつまでたっても、この人はこの苦しみから逃れることはできない。
ある人は彼に、
「あなたは本来はもともと熱くも苦しくもないんですよ」
と言う。
それは真実ではあるが、
彼が自分で自分に熱湯をかける行為をやめない限り、苦しみは依然としてあるので、
そんなことを言っても意味がない。
苦しみの因が自分にあることを気づかせ、
自分で自分に熱湯をかける行為をやめさせなければならない。
自分で自分に熱湯をかける行為とは何なのか?
私たちは何をなし、何をやめればいいのか?
私たちの頭は完全にいかれてしまっているので、
覚者の言葉はありのままに頭に入らず、
必ず誤変換されて理解される。
よって、「熱湯を自分で自分にかけるのをやめなさい」という言葉を聞いても
彼にはチンプンカンプンなのだ。
よって、サインとなる鍵の言葉が必要だ。
それは、縁のある者には、少しは効き目があるだろう。
神に心を開け。
すべての衆生を自分自身のように愛せ。
何にもとらわれるな。
光輝く心の本性に、常に安住せよ。
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