要約「シクシャー・サムッチャヤ」(29)「忍辱のパーラミター」
第九章 忍辱のパーラミター
次に、忍辱についての教えを聞け。
忍辱しなければ精進は減少し、怠惰となる。またサマーディを得られず、煩悩を浄化することもできないからである。
「忍辱せよ。
教えを聞くことを求めよ。
そして森に住むべし。
心を専念して住し、また不浄観を修めるべし。」
法集経にはこう説かれている。
「忍辱には三種ある。それは、苦しみに安住する忍辱、不当な害に耐える忍辱、ダルマの真理を観察する忍辱の三種である。」
チャンドラプラディーパ・スートラ(月灯経)にはこう説かれている。
「楽に愛著するなかれ。
苦しみを嫌悪するなかれ。」
◎世事への無関心
最上授所問経には、こう説かれている。
「在家の菩薩は、世間の八法(得ることと失うこと、称賛と非難、楽と苦しみ、快い言葉と嫌な言葉)に愛著するなかれ。所得、妻子、その他もろもろの所有に恵まれていたとしても、傲慢になるなかれ。またもろもろの衰退があったとしても、悩むなかれ。ただ次の如く観察すべし――もろもろの作られたものの相は幻であり、ここにおいて傲慢になるならば、悪業となる。この父母も、妻子も、奴隷も、従者も、親族も、友人も皆、私のものではない。」
「もしそれが解決されるのであれば、悩んでも意味はない。
もしそれが解決されないのであれば、悩んでも意味はない。」
よって、悩みを捨て、軽快にして安らぎ、静寂なる心を起こすべきである。
最上授所問経には、こう説かれている。
「悩みから遠く離れ、トゥーラ綿のように、心を柔軟にすべきである。」
また、ガンダヴューハ・スートラ(華厳経)には、こう説かれている。
「一切の煩悩を滅するために、決して降伏しない心を発するべし。決して降伏しない心をもってすべての嫌悪と怒りを破壊し、不動心をもって、この輪廻の海の中にあっても深遠なる悟りの境地から堕落するべからず。」
修行における忍辱の修習は、決して難しいことではない。凡夫もまた、同様の苦痛を耐え忍んでいるのであるから。
たとえば猟師や漁師や農夫などは、わずかな利益のために、多くの苦難に耐え、不浄なるものにまみれるが、心に後悔や悩みはない。
いわんや、無上なる果報を求めている菩薩においておや。