◎真我に心を安住させるとき
◎真我に心を安住させるとき
【本文】
『修行者が、自分の心の働きを統御して、真我にのみ安住させるとき、
彼の心はすべての愛欲や物欲から解放され、真に至高者と合一することができる。』
はい。これも非常にゾクチェンあるいはマハームドラーの見解と非常に近い。つまり最初はね、「ああ、この愛欲や物欲をどうしよう?」と。これはこういうふうに考えようかな、ああいうふうに考えようかなっていうのも必要なんだけど、究極的には至高者――それはシヴァ神でもいい。クリシュナでもいい。あるいは形のない心の本性でもいいし、あるいは自分の好きな聖者でもいい。あるいはね、自分の師匠でもいいよ。やりやすい対象でいい。それに対して、その完全なる対象に対して常に心を向けてたならば、愛欲とか物欲とか怒りとかそのようなものは全部吹っ飛んでしまうんです。そんなものはもう入る余地がなくなってしまうというか。
ちょうどこれはよくいわれるように、夜になると蛍が光を発しているが、太陽が昇ったら蛍の光なんて見えなくなってしまうと。だから至高者に心を集中し、至高者の光に包まれているときっていうのは、自分の愛欲とか物欲とかそんなものは全く関係なくなるというか、姿を消すわけだね。
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