すべての望みを叶える椅子
その昔、インドで、欲望が強く、怠け者で、貧乏な男がいました。
彼はあるとき、すべてを可能にする力を持つ聖者の話を聞き、そのような聖者を訪ねてヒマラヤへと向かいました。彼は楽をして金儲けをすることを望んでいたのです。
彼はヒマラヤでついにそのような力を持つ聖者に出会い、自分の望みを懇願しました。聖者は断りましたが、男があまりにしつこいので、聖者はついに、ある椅子を男に差し出して、言いました。
「この椅子に座って何かを心に思えば、それはすべて実現するだろう。」
男は喜んで故郷に帰ると、早速その椅子に座り、まずはおいしいごちそうを思念してみました。するとたちまち素晴らしいごちそうが出現しました。それを満足行くまで食べた男は、お腹がいっぱいになったので少し休もうと思い、椅子に座ってベッドを思念しました。すると素晴らしいベッドが出現しました。
男はベッドに横になりましたが、次に何を出そうかという欲望で頭がいっぱいだったので、休んでいることもできずにすぐに起き上がり、再び椅子に座ると、今度は大きな屋敷をイメージしました。すると男のみすぼらしい家は、宮殿のような屋敷に変わりました。
男は大喜びで、考えました。「このような屋敷に住むには、召使いも必要だろう」そのように男がイメージした瞬間、召使いたちが現れました。
さらに男は、金銀財宝をイメージし、それらも速やかに現れました。
こうして望みのものすべてを手に入れた男の心に、恐怖と心配が生まれました。
「もし大地震が来たらどうしよう。それによってこの私の屋敷や財産が台無しになってしまったらどうしよう!」
その瞬間、大地震が起き、男の宮殿はすべて崩れ去りました。
この話はとても重要な示唆を与えてくれますね。
この「すべての望みを叶える椅子」は、実は誰もがすでに、心の中に持っているのです。
つまりこの宇宙は、本当のことを言うと、我々の心が作り出した幻影なので、我々の心一つでどうにでも変わるものなのです。
しかしこの話の男のように、我々は何か望みが叶うとさらに欲望が増大し、そしてそれを守りたいという執着と、それがなくなることへの恐怖が生まれます。このような欲望から生じるネガティブな意識がネガティブな現象を出現させるわけです。
ではどうすればよいのでしょうか?
表面的に「ポジティブ・シンキング」をしたり、言葉で肯定的なことを口にするような、現代でよくある成功哲学のような方法は、あまり本質的ではありません。それらの背景に欲望がある限り、それは臭い物にふたをしているようなもので、その欲望がやがてはまた恐怖や否定的感情を生み出すでしょう。
そう、だからまずは、欲望のコントロール、そして欲望の止滅に向かう、ヨーガ等の修習に励むべきです。
そして表面的に「肯定的に考えよう」とするのではなく、おおもとから、悪しき思いが全くわかないように、心の浄化に励むべきです。
もう一度言いますが、欲望を持ったままで「肯定的に考えよう」とするのは、臭い物でいっぱいの容器の表面に、香水を振りかけるような程度のことにすぎません。いかに努力しても、中の汚物の汚臭はすぐにまた表面化するでしょう。欲望と否定的感情はセットなのです。
だから、この自分の心の奥底から、浄化しきるべきです。
その「すべての望みを叶える椅子」のような心の力を、「私の心が完全に浄化されますように」という願いにこそ使うべきです。
もし彼が心に神の王国を作り出したらば、その人にとってこの世は神の王国になるでしょう。
もし彼が心にブッダの世界を作り出したならば、その人にとってこの世はブッダの世界になるでしょう。
もし彼の心が慈愛でいっぱいになったならば、その人にとってこの世は慈愛の世界になるでしょう。
あるいはまだそこまでいけなくても、別の観点からいうと、バクティ・ヨーガ的な発想で、常に神やブッダを思い、神やブッダに感謝し、すべてを神やブッダに「お任せ」するといいでしょう。これはその「すべての望みを叶える椅子」の権利を放棄し、神やブッダにその委任状を渡してしまうようなものです。神やブッダはその椅子の力を使い、最も速やかな方法で、あなたを至福の世界へと導くでしょう。
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