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解説「菩薩の生き方」第三十回(2)

【本文】

 すべて人を褒める言葉に対しては、賛成の言葉を発せよ。功徳を為す者を見ては、褒め言葉をもって鼓舞せよ。

 他人の徳をたたえるのは、その人のいないときにせよ。また(他人の徳をその人の前で誰かがたたえる場合には)喜んで唱和せよ。さらに、自己の長所を人が説くときは、それをただ徳に対する認識(敬意)として観想せよ。

【解説】

 ここは称賛ということに関して述べられています。
 誰かが人を称賛していたら、同様に自分も称賛しなさい、ということですね。
 そして実際に、功徳を積む者や、修行に励む者、正しく生きようとしている者がいれば、称賛によって励まし、もっとその人がそのような善に励むように鼓舞してあげなさい、ということですね。

 誰かが誰かを褒め称えているときは、同意して共に称賛せよ。しかし自分が誰かの徳を称賛したくなったときは、その人のいないときにせよ、とありますね。これはどういうことでしょうか。
 これは利害関係を入り込ませないための処置ではないかと思いますね。つまりその人に良く思われたいためとか、何か後の利益を期待して人を褒める場合があるので、そうではなくて、その本人がいないときに称賛しなさい、ということですね。
 ただしもちろん、前述のように、相手を励まし、鼓舞するという目的のときは、その人自身に称賛の言葉を述べても良いようですね。

 そして、最後がまた大事なところですが、自分が褒められたとき。このときはそれをただ「徳に対する認識(敬意)」として受け取れ、とあります。
 これはつまり、例えば自分が真理によって人の悩みを安らがせてあげたとします。そこで他者に、「あなたは真理によって人に幸福を与えて、素晴らしいですね」と称賛されたとき、それは、「自分」が称賛されているのではなくて、そのように人に幸福を与える「真理の教え」とか、あるいはそのような真理によって人を幸福にするという功徳そのものが称賛されているのであって、「自分」が称賛されているわけではないのだ、という認識が必要なんですね。
 逆に、「いや、徳が減るから称賛しないでくれ」なんていう頑なな態度も駄目です(笑)。もちろん、「いやー、おれってすごいでしょう」なんていう慢心も駄目です(笑)。
 褒められたら、ニコニコと笑い、心の中で、「これは自分が褒められているのではなく、真理そのもの、あるいは徳そのものが称賛されているのだ。それは素晴らしいことだ」と考えることです。そうしてそのように素直に人を称賛できる相手のことも、心の中で称賛すると良いでしょう

 はい、これは称賛に関する教え。これはとても分かりやすくまとめられているので分かりやすいと思いますが。いつも言うようにこの『入菩提行論』の特徴というか素晴らしいところは、こういう感じで、まあ非常に具体的に、あるケースにおける考え方や行動の仕方が具体的にいろいろ書かれていると。これは称賛っていうのをテーマにしたさまざまなパターンにおける、菩薩はどうしたらいいのかっていう話ですね。
 はい。分かりやすくまとまっていると思いますが、まず、「人を褒める言葉に対しては、賛成の言葉を発せよ」と。
 はい、つまり誰かが誰かを――ただもちろんこれは細かく言えばケースバイケースであるけどね。つまり、もし、なんというかな、それが何か悪しき意図が入り込んでいたりとか、あるいはなんらかのデメリットを誰かに与えるような場合がもしあるとしたら、それはもちろん駄目だけども。そういうのはちょっと置いておいて、一般的に、つまりここで言いたいのは、われわれの中に、さっき言ったような嫉妬心とか闘争心とかがあると、誰かが誰かを褒めてるときに、素直になれないと。いろんなあらを探したくなる。これはもちろん修行におけることもそうだし一般的なことももちろんそうだよ。一般的な、社会における「ああ、あの人の仕事はこんなに素晴らしかったね」とか、あるいは「あの人は歌がすごくうまかったね」とか、いろいろありますよね。あるいはもちろん修行におけることもそうですけども、それがなされているときに、あらを探したくなると。でもプレーマーナンダも言っているように、われわれはこの地上にね、人のあら探しをするために生まれてきたわけじゃないと。ね。何かを学ぶために来たんだと。
 そして称賛というのは、いろんなところで出てくるけども、われわれ自身を、つまり称賛する人自身を非常に高みに上らせてくれる大変な秘儀とも言える。
 もちろんそういうことを考えなくてもいいんですけども。つまり素直な、非常な素直な気持ちで、「ああ、あの人こういうところが素晴らしいね」と。「あの方がやったこれはとてもよかったね」と。そのような称賛の場面がもしあったとしたら、心から「本当だね!」と。
 もちろん、繰り返すけど、そうだな、例えば適当に言っちゃ駄目ですよ。なんか全然自分の知らないことで「素晴らしいね」って言っているところに入っていって「本当に素晴らしい!」(笑)。

(一同笑)

 それはちょっとなんか適当過ぎるから。だから、一応聞いてね、あるいはその内容を把握した上で――もちろんさっき言ったようにその中には実際はちょっと駄目なところもあるのかもしれない。でもそれには別に触れずに、さっき言ったようなデメリットがもしないとしたら、心からその部分を称賛すると。自分の中の嫉妬心とか、あるいは闘争心とかを、塵ほどもそこに入れないと。これはまず第一ね。誰かが褒められてたら、一緒にそれは褒め称えましょうと。

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