解説「菩薩の生き方」第二十七回(10)

それを繰り返し繰り返し思い返し、「このような心を、スメール山のごとく、ゆるぎなく保とう。」と。
はい、つまりここで言ってる意味は、前半で言ったいろんな心の理想的な状態ね、これを、スメール山のごとく――スメール山っていうのは、ね、マンダラ供養とかにも出てくるけども、宇宙の中心にあるといわれる山のことですね。実際にはこれは山っていうのは例えっていうか、ほんとは山じゃないだろうけど、この大宇宙――これはいろんな説があるけど、仏教とかヨーガの宇宙論って面白くて、中心にそのスメール山があって、で、周りを、なんというかな、銀河のように、いろんな世界が――例えば大陸っていう表現がされてるんだけど、あるいは山とかね。外輪の山、そして大陸とかが銀河のように取り囲んでるんだね。だから実際にあれは銀河系とかを表わしてるのかもしれない。まあとにかくそういう一つの大きな宇宙があって、その中心にスメール山があると。で、その周りのいろんなものっていうのは、なんていうか、宇宙が生じて滅するまでの間に、当然いろいろ生じては滅したりするんです。でもこのスメール山だけは、宇宙の破滅までは滅さないんですね。宇宙が生じたときに生じて、そして破滅まで滅さないと。だからそういう象徴として使われるんだね。
つまり宇宙が破滅するまで滅さないくらいに、さっき言った、真理の教えを実践する決意、心の清らかさ、そして不動の心、そしてグルや教えへの深い尊敬の念、そして悪を恥じ恐れる気持ち、寂静の心、そして意気消沈することなく衆生を救う気持ちね。そして真理の観点から非難されない状態に自己を置き、他者もそのようにしようっていう気持ち、そして我執なき心。こういった理想を、今言ったスメール山のように堅固に、固く、揺るぎなく保とうと。
で、その原動力となるのが、さっき言った、われわれはやっと、久遠のときを経て今真理と出合ってるんだと。このチャンスを逃したらもうあとはないかもしれない。この気持ちね。この気持ちによって、まさにある意味焦るように、ラーマクリシュナが言うような焦りや渇仰の気持ちで、もう「やばい、やばい!」と。
もう「やばい、やばい!」って感じでいいんですよ。もう。「やばい、時間がない、やばい、やばい、やばい」と。ね。こういう焦りはいい焦りです。「あ、やばい、やばい、やばい」ってこんなこと言っててさ、何もやんないじゃ駄目ですよ(笑)。「おまえ何やってんだ」と(笑)。「やばい、やばい」って踊ってるだけだと。それじゃ駄目だけど(笑)、「これはやばい!」と。だからもう、今できる全力のことを常にやり続けると。で、この理想をしっかりと固めるんだと。で、生まれてきた意味、つまりダルマに出合った意味を、意味あるものとしなきゃいけないんだと。それにはわれわれには時間がないんだと。
それはさっきの歌にもあったように、われわれは健康か否かにかかわらず、いつ死ぬか分からない。健康か否かにかかわらずっていってるのはさ、健康だけが基準だったらさ、分かりやすいでしょ。「絶対人間は死ぬときにこの病気にかかって、このように衰弱していく」って分かってたら、なんかメーターみたいなもんじゃん。そんなことないよね。「ああ、おれは病気だ」とか、いつも「体悪い、体悪い」とか言ってるおばあちゃんがすごく長生きしたりすると(笑)。あるいはすごく健康に気を付けていてすごくスポーツも大好きでっていう人がポックリ逝ったりすることがあるよね。あるいはもちろん事故とかもあるし。いつ死が来るか分かんないと。だからそれを考えたらもうわれわれは、全力で、いかに早く、この与えられた教えを自分のものにするかと。確定させるかと。そこにのみ、なんていうかな、興味というか、自分の目が行き続けなきゃいけないんだということですね。
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