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解説「菩薩の生き方」第二十七回(9)

 はい。そして、このあとはいつも言ってる随喜ね。これもさっきの歌にもあったけども、いつも言ってるように、われわれが人間に生まれることは大変稀であると。繰り返すけど、チベット仏教では、さっきのカルマの法則もそうだけど、この人間に生まれ、ダルマに出合うことがいかに稀であるかっていうのをひたすら、初心者から上級者まで学び続けるんだね。それだけこれは大事なパートであると。これは、その教えっていうのもだから膨大にあるわけだけど、今日はあんまり時間もないんで突っ込まないけどさ、簡潔に言うと、六道輪廻っていうのは甘いもんではないと。甘いもんではないっていうのは、よく変な、適当なスピリチュアルな人とか仏教の人が、ね、「人間には何回生まれ変わる」とかなんかわけ分かんないこといっぱい言ってるけど、実際にはこの六道輪廻自体がまず、解脱しない限りは抜けられない牢獄みたいなもんで、しかもそれは、ちょうどピラミッドのように、つまり下が大きいと。下が大きいっていうのは、低い世界ほど広く――広いっていうのは相対的な意味でね、広く、つまり落ちやすいっていうことです。われわれが死んで一番落ちる確率があるのは、地獄・餓鬼・動物の三悪趣であると。で、人間に生まれることは非常に難しいわけだけど、もちろんそれ以上に難しいのは、天に生まれることは難しいですよ。でも「天に生まれたらどうしよう」なんて考える必要はないからね。そんな確率低いから。ね(笑)。それよりも、地獄・餓鬼・動物に生まれる確率の方がものすごく大きいと。
 これは何度も言ってるけど、お釈迦様の経典だと、全大地の砂と、指先の砂ぐらいの確率ですと。これはつまり地獄・餓鬼・動物に落ちる確率と、上の世界、人間・阿修羅・天に生まれる確率の差ね。ものすごい差ですよね。ほとんど地獄・餓鬼・動物であると。だからまあ第一段階で、地獄・餓鬼・動物を避けることがまず難しい。
 皆さんも、ちょっと今普通に、余裕を持って人間界を生きてるだろうけど、そんな余裕ないですよ、ほんとは(笑)。蓋を開けたら――カルマって分かんないから。蓋を開けないと全く分かりません。「何、あんた余裕持ってるの」と。ね。「ちょっと今まずいよ、これ」と。「相当本気出さないと、はい、地獄三〇パーセント、餓鬼も三〇パーセントと、動物も三〇パーセントぐらいありますよ」と。「あなたが人間以上に生まれ変わる確率は一〇パーセントぐらいしかないですよ」と。「これで何、余裕持ってるんですか」と。ね。でもわれわれは分かんないから、なかなかそこを真剣に考えない。しかし現実はそうであると。
 で、われわれはつまり、確率論からいったら、ものすごい低い確率で人間にやっと生まれることができたと。で、次の問題として、人間に生まれたとしてもそこに真理があるかどうか分からない。ないことの方が多いと。しかしいつも言うように、われわれは今真理に巡り合えたと。しかも真理っていってもいろいろあるわけだけど。つまり仏教とかヨーガっていっても幅広いからね。つまりまだ初心者っていうか、まだ偉大なる道を歩むカルマがないけども、仏教とかヨーガとか縁があった人、こういう人は、つまり例えばお寺とかに行ってね、「はい、お祈りして、現世幸福を願いましょう」と。あるいは「現世幸福のために、例えばヒンドゥー教の人に儀式をやってもらいましょう」と。これは初歩的な段階ですよね。神とか仏陀と縁はできたけど、その理由が現世幸福のためであると。それでも、まだ縁がないよりは素晴らしい。でもわれわれはそうじゃなくて、解脱の教え、あるいは解脱さえも超えた菩薩道、あるいはバクティの教え、あるいは密教の教え等に巡り合ってると。こんな素晴らしいことはあるだろうかと。
 で、しかもそれは、ここに書いてあるように、「久遠の時を経てはじめて得られたものである」と。実際にはもちろん皆さんは初めてではないでしょう。初めてではないだろうけど、それくらい、やっぱり、価値を考え直さなきゃいけないんだね。「久遠の時を経てはじめて」っていうのはつまりイメージでいうと、久遠、つまり、もう数字に表わせないぐらい――十回とか百回とかじゃないよ。もう何億、何兆、あるいは何兆の何兆倍とか、それくらい、もう何度も何度もいろんな世界に生まれ変わってきて。で、さっきも言ったように、何度も何度もほとんど低い世界で、たまに人間、でも真理なし。「ああ……」――また低い世界、また低い世界に何度も行って、またたまに人間、真理なし。「ああ……」――これの繰り返しですよ。もうなんていうか、もしわれわれに記憶が輪廻を超えてあったら、もう途中でもう、なんていうか、ノイローゼになってるでしょう。あるいは鬱になってるでしょう。鬱どころじゃないね(笑)。もう心が破滅してるでしょう。だからわれわれは記憶がなくなるのかもしれない。もうやってられなくなります。それだけわれわれは輪廻を繰り返してきたと。で、やっとです。だからその意味では皆さんは、あまりにもやっと過ぎて、価値分かんなくなっちゃってるのかもね。最初のころは「真理ないかな? あ、なかった」があまりにも長過ぎて(笑)、あまりにも苦しい世界を輪廻し過ぎて、やっと巡り合えたその価値が分かんなくなっちゃってるのかもしれない。でもそういうもんだと。やっと、やっと巡り合えたと。
 まあ言い換えれば、それしか探してなかったんですよ、ほんとは。だってわれわれは、皆さん記憶はないけど心の記憶はあるから、ほんとは、今皆さんいろんな現世的な望み、いろいろあるかもしれない。「こうなりたいな」「ああなりたいな」「これも欲しいな」「こういうポジションも欲しいし」「これも」っていろいろあるのかもしれないけど、そんなものは、経験しています、すでに。『杜子春』の話じゃないけど、過去世でひたすら経験しています。で、その無意味さとか、あるいはその裏側にある苦しみっていうのは十分分かってるんだね。だからそんなものは実は心は求めていない。唯一われわれが求めているのは真理です。真理だけです。しかし、この表層意識のわれわれは馬鹿だから、そのやっと巡り合えた真理の価値っていうのをすぐに忘れてしまう。だからそれはいつも随喜の瞑想でやってるように、何度も、毎日のように思い返してね、この、やっと巡り合えた真理のダルマ、あるいはこの真理の流れというものがいかに価値あるものであるかと、これを常に思い返さなきゃいけない。

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