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【死の兆候とプロセス】

【死の兆候とプロセス】

 実際に自分に死が迫ってきたことは、どのようにして知ることができるのか。

 要約すると、まず身体の地元素が撤退していくとき、身体を動かすことができなくなり、身体の力を保てず、力が抜け、身体が地面に沈みこむような感じがする。
 内的経験としては、陽炎のようなヴィジョンが見える。

 水元素が撤退していくときは、口と鼻の中が渇き、舌が縮む。
 内的経験としては、 煙のようなヴィジョンが見える。

 火元素が撤退していくときは、体が徐々に冷えていき、熱は体のどこかに集まっていく。
 内的経験としては、蛍の光のようなヴィジョンが見える。

 風元素が撤退していくときは、吐く息が長くなり、息を吸いづらくなる。
 内的経験としては、不動の灯明の火のヴィジョンが見える。

 それから初めの「明らかな光」が、雲のない虚空に月の光が輝くようにあらわれる。

 次に、「輝き増大する光」が、何もない虚空に太陽があらわれたような、赤あるいはオレンジの光としてあらわれる。

 次に、「大いなる空」とも呼ばれる「成就間近の光」が、何もない虚空が夜の暗闇に覆われたようにあらわれ、何の思念もなくなってしまう。

 そしてその暗闇の昏睡から目覚めるとき、「一切空」と呼ばれる光明があらわれる。それは明け方の何もない虚空のような光明である。

 これらの死の光明を経験しているとき、もろもろのプラーナは心臓の「不壊なるもの」に溶け込み、頭の白いボーディチッタは下に下がり、へその赤いボーディチッタは上に昇り、それらが心臓で合一する。

 四つの元素が撤退していく兆しがあらわれてきたなら、いずれかの方法で生命エネルギーを中央気道に集め、四つの空をハッキリと認識するように努めるべきである。そして最後の光明があらわれたときに、できるだけ明らかなサマーディの境地にとどまるべきである。

 死の光明の時、プラーナと心が中央気道に集まり、プラーナが心臓に溶け込むことによって、もろもろの二元的な分別は寂滅し、雲のない虚空のようになる。それをハッキリと確認し、サマーディの境地にとどまるべきである。

 死の時にこれをスムーズに行なうには、生きているうちから「空の教え」を学んでおくことと、「楽空無差別」のサマーディに慣れ親しんでおくことが必要である。
 ジェツン・ミラレーパも、次のようにおっしゃっている。

「死の光明は法身であり、そうであるものをそうであると知らねばならない。
 そのためには、すぐれたグルに師事して、
 もののありかたの真の意味と、
 道の光明を、
 学び、理解せねばならない。」

 生きているうちに修行によって経験する四つの空を「息子の光明」と呼び、死の時にあらわれる四つの空を「母の光明」と呼ぶ。修行者は、死の時に、「息子の光明」を「母の光明」に混ぜ合わせる。
 
 それをするには、覚醒時にプラーナを中央気道に入れ、とどめ、溶け込ませたうえで、四つの空、特に四番目の空に慣れておかなければならない。また、睡眠時に、どれだけ睡眠が深くても、睡眠を光明と混ぜ合わせられるようにしておかなければならない。

 死の光明を死の光明であると認識し、息子の光明と混ぜ合わせることができたならば、その後にバルドがあらわれるプロセスもハッキリと認識できるので、バルドを自由にわたることができる。

 バルドを自由に乗り越える方法は、基本的には、これ以外にはない。
 その他、普段生きているときから、「私は死んでいる。すべてのあらわれはバルドである」と常に意識することを訓練したならば、死の時に意識を保つことはできるかもしれないが、力は弱い。
 あるいは、実際には「四つの空」が生じていないが、そのイメージだけを修習した場合も、死の光明を少しは保てるかもしれないが、やはり力は弱い。

 よって、死の光明を明らかに経験し、バルドを自由に乗り越えたいと思う者は、表面的な技術に走ることなく、実際に中央気道にプラーナを入れることができるように、チャンダーリーの火のヨーガなどを、正しく努力して実践すべきである。
 そのようにして実際にプラーナが中央気道に入り、とどまり、溶け込み、四つの空を生じさせ、また睡眠の光明も経験するべきである。
 そして、覚醒時の光明と、睡眠時の光明から、それぞれ優れた幻身として生起することを修習するならば、死の光明を経験し、バルドを乗り越えるための、すぐれた力を獲得することになる。

 よって、チャンダーリーの火の修行に励むことこそが、重要な道の基礎であるということを思念しなさい。

 また普段から、前に述べたように、目の前に現われるすべてはイダムのマンダラであり、そのマンダラはすべて幻であり、その幻の本性は空である、と観ることを修習し、確定させ、その見解をよく維持したならば、死後においてもそれが出てくるので、そのようにすべきである。

 また、死後、浄土やその他の自分の望む世界に自由に生まれたい場合は、後に述べる「転移(ポワ)」の教えを、指示どおりに実践すべきである。

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