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要約・ラーマクリシュナの生涯(29)「約束された弟子たちが集まり始める」

29 約束された弟子たちが集まり始める

 ラーマクリシュナの影響で、ケシャブその他のブラーフモー・サマージの指導者たちに大きな変化が起こったことをカルカッタの大衆が知るのに、長くはかからなかった。ケシャブと仲間たちがラーマクリシュナの驚くべき宗教観とインスピレーションに満ちた教えをブラーフモー・サマージの新聞や機関誌に載せ始めると、カルカッタの人々は興味を示し出し、ドッキネッショルを訪れるようになった。こうして師に選ばれた信者は、ドッキネッショルのカーリー寺院に徐々に集まってきたのである。
 ラーマクリシュナがケシャブに初めて会った4年後の1879年の終わりごろ、ケシャブの雑誌でラーマクリシュナのことを読んだラームチャンドラダッタとマノモハン・ミトラが、ラーマクリシュナに会いにやって来た。
 ラームチャンドラダッタはラーマクリシュナをグルとして、そしてイシュタ(理想神)として仰いだ。ラーマクリシュナと信者たちを自宅に何度も招待し、祭典などのために惜しみなく財産を出費した。あるときラーマクリシュナはこう言った。

「今のラム(ラームチャンドラダッタ)は大変気前がよろしい。だが最初はひどくけちん坊だったのだよ。カルダモンを少々持ってくるように言ってやったことがある。そうしたら、安い干からびたカルダモンを一パイサ買ってきて、私の前に置いてお辞儀をしたのだよ。ラムの性質がどんなに変わったか、今はわかるだろう。」

◎ラカールの来訪

 マームチャンドラダッタとマノモハンは師の身内の弟子として受け入れられ、永遠にそのご加護を賜って、その恩寵による至福を感じたのだった。そして彼らは、自分の親族や友人たちをも、師という避難所に連れていきたいと思った。こうして1881年以降、約束された弟子たちが一人また一人とラーマクリシュナのもとに集まってきたのだった。

 なかでも最初にやって来たのが後のスワミ・ブラフマーナンダことラカールだった。彼はマノモハンの娘と結婚した。そこでラカールはマノモハンとその家族たちが帰依するラーマクリシュナのことを聞き、謁見に伺ったのである。

 後にラーマクリシュナはこう語った。

「ラカールが来る数日前、母が私の膝の上に子供を置いて、『これはお前の息子です』とおっしゃるのを見たのだよ。私は考えただけで身震いがして、驚きの声をあげた。
『なんですって? 私も息子を持つなどとは!』
 すると彼女は微笑んで説明された。
『世俗的な意味の普通の息子ではなく、一切を放棄した霊性の息子です。』
 それで私も安心したのだよ。ラカールはこのヴィジョンの後、間もなくやって来た。だから聖なる母がお示しくださった若者だとすぐに分かったのだよ。」

「当時ラカールは三、四歳の子供のような性質をしていた。私を母親のように見なしていた。走って来ては私の膝に座ったのだ。そして一歩も動こうとはしなかったのだよ。家に帰ろうなどとは思いもしなかった。ここに来ることを父親から完全に禁じられないように、ときどきは無理にでも帰るように言ってやった。父親は地主で大金持ちだったが、けちん坊だった。最初はいろいろな手段を使って、息子がここに来ないようにしていたのだよ。だが本人がここに来てみると、金持ちや有名人が大勢訪れていたので、もう文句は言わなくなったというわけだ。その後、ラカールに会いにときどきここに来るようになった。」

「ラカールの妻の実家は、全く反対しなかった。マノモハンの母や妻、姉妹たちは、よくここに来ていた。ラカールが最初に来てから、彼の姑がラカールの妻ヴィシュワーシュワリーを連れてきた。私は彼女がラカールの神への信仰の邪魔をするかどうか、見たいと思った。ところが彼女の身体的な特徴をつぶさに調べてみると、心配の必要はないことが分かったのだよ。聖なるシャクティーの吉相を表していて、夫の霊性の障害にはならないと見た。私はナハバト(にいるサーラダーデーヴィー)に遣いをやると、ヴィシュワーシュワリーに一ルピーを与えてヴェールを外すように頼んだのだった。※」

※・・・姑が嫁を迎える際のベンガル地方の風習。ラカールがラーマクリシュナの霊性の息子となったので、ヴィシュワーシュワリーは嫁となり、サーラダーデーヴィーは姑になったという意味。

「私に会うと、ラカールの中には言い表しがたい子供のような感情が起こるのだった。誰もが彼を見ると、心を動かされた。私は法悦状態であの子にバターや菓子を食べさせ、母と子のように遊んでやった。よく肩にかついでやった。こんなことをしても、あの子はちっともためらわなかったのだよ。ラカールが成長して妻と暮らすようになると、子供のような性質は消えてしまうだろう、とそのとき私は言ったのだ。」

「ラカールが間違ったことをしたときには、叱ってやったよ。ある日腹が減っていたあの子は、寺院からのおさがりのバターを取ると、私を待たないで食べてしまったのだ。
 『なんてがつがつしているのだ!』
 私は言ってやった。
『ここにいて自分を抑えることが身についているはずなのに! それなのに自分でバターに手を出して、私を待たずに食べてしまうとは!』
 あの子は恐れ入って、二度と同じことはしなかった。」

「ドッキネッショルに来て三年目に病気になったラカールは、転地療養のためにバララームとヴリンダーヴァンに行った。その少し前、聖なる母があの子をここから動かそうとされているヴィジョンを見た。私は真剣に祈った。
『母よ、ラカールはまだほんの子供なのです。無知なので、ときどき不機嫌になるのです。あなたのお仕事のために、しばらくあの子をここから動かされるのなら、どうぞ良い場所で、至福に満ちた気分においてやったください』とね。
 その後間もなく彼はヴリンダ―ヴァンに行くことになったのだ。」

「ラカールがヴリンダ―ヴァンで病気だと聞いて、どんなに心配したか知れない。ラカールが本当にクリシュナの牛飼いの仲間だったことを、聖なる母が前にお示しくださっていたのだ。かつて神聖な場所に生まれた偉大な魂が次の生涯でその場所に戻ると、自分の神聖さを思い出して、今の肉体を捨てることがある。それでラカールがヴリンダーヴァンで肉体を捨てはしないかと心配したのだよ。母に熱心に祈ると、彼女は確信をもって慰めてくださった。母はラカールに関するたくさんのことをお示しくださった。そのいくつかは口外することを禁じられている。」

 ラーマクリシュナのもとに最初にやって来た「選ばれた内輪の弟子」であったこの少年について、ラーマクリシュナは「クリシュナの牛飼いの仲間」と見、多くの称賛の言葉を語った。それが正しかったことは後に証明された。成長したラカールはゆるぎない厳格な指導者となり、神のために一切を放棄し、大聖者スワミ・ブラフマーナンダとなり、ラーマクリシュナ僧団の初代僧院長となったのだった。

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