Mとラーメーシュ・チャンドラ・サルカール(3)
1919年2月4日(火)PM4:00 モルトン・スクールにて
私はMに礼拝すると、床に座った。私がウドボーダン(ラーマクリシュナの弟子たちが発行していた雑誌)を渡すと、彼は咳をし始めた。
「今日は調子があまりよろしくないようでございますね。」
彼はこう答えた。
「ごらん、私はもう年寄りだ。この肉体はじきに病気を患わって、死ぬだろう。これは全く不思議なことではない。
私は年寄りだ。どうして、避けられぬことを思い煩わなければならないのか?
熟していない果物は、嵐が来ても落ちない。しかし熟した果物は、風が吹いていなくとも落ちるだろう。
若い頃に欲望と怒りが心の中に生じても、人は落胆したり、霊性の人生が失敗に終わったなどと考えてはならない。そのときには『私はこの障害を乗り越えてやる』と決意すべきだ。
欲望や怒りが出てくると、ある人々は自分を大罪人だと思い、意気消沈するが、そのようなことに心を向けてはならないよ。それは人間のシステムにとってあたりまえの、普通の傾向なのだからね。
人は、ウミツバメが嵐に向かって飛ぶように、若い頃にそのような動物的な本能と戦うべきだ。
この理由ゆえに、過去の聖者方は、われわれにそれらの障害に立ち向かう準備をさせるために、ブラフマチャーリヤ(禁欲修行)を設けたのだ。
この世界には非常に多くの障害がある!
神がそれらの障害を創ったのだが、それにもかかわらず、彼はグルとしてわれわれを救済し、それらの乗り越え方を解き明かしてくださる。
彼はわれわれに聖なる交わりを与えるために、偉大なる魂をお創りになられたのだ。
ギーターの中で、アルジュナがどのようにクリシュナに、偉大なる魂の印について尋ねていたであろうか?
確固たる智慧を持つ者はどのように語るのであろうか?
彼はどのように座るのであろうか?
どのように動くのであろうか?
その行為、言葉、さらに顔の表情まで――すべてがこの上なく優美である。
あなたは福音の中で、師が笑っているかと思うと、次の瞬間には崇高な霊性の話を語っておられるのを読んだことがないかね?
彼に関するすべてのことは、神と繋がっておられる。
この国にはなんと多くの魂が生まれ、なんと多くの神を見た人がいたことか!
ガンガーの畔やヒマラヤには、なんと多くの聖地があることか。
われわれはこの国に生まれたことで、祝福されているのだよ。
西をごらん。彼らは戦争で互いに殺しあっている。(このときは第一次世界大戦中だった。)
彼らにとっては、人生とは虚しいものだ。
これから彼らは、『神のみが真実』という師のメッセージを受け入れようとするだろう。」
「世界中の人々がこの思想を受け入れるとお考えですか?」
「どうしてだね? 神の思想は人類共通ではないか。
師は、小さな身体に限定されているのかね?
彼は神であり、すべての人々を平等に見ておられるのだよ。
彼は、すべての国のすべての人々を愛しておられる。
しかし、われわれは彼と共に生まれてくることができて幸運だよ。」