Mとサティシュ・チャンドラナート(3)
◎1924年2月3日
昼食の後、Mは少しお休みになってから、われわれと話を始められた。
「『私はブラフマンである』と言うことは難しい修行だ。
こんな話がある。
死んだふりをしている酔っ払いがいた。そして彼の飲み仲間が彼を肩に担いで運んでいたそうだ。その酔っぱらいは言った。
『オレは死んでしまった。』
道端の人々はこう言った。
『いやいや、あなたはまだ死んでいない。だってしゃべっているじゃないか!』
『私はブラフマンである』と悟った人は無言になり、その口からは何も出て来なくなるのだよ。」
前夜、われわれはバクティヨーガについて学んだ。
テーマは「ブラフマンを悟った者はブラフマンである」というものであった。
Mはこう仰った。
「『私はブラフマンである』と繰り返して、何が達成されるのか?
ブラフマンには創造、維持、破壊の力がある。
だから師はこう仰っていたのだ。
『”私は彼の子供だ”あるいは”私は彼のしもべだ”というような信者の態度が良い』と。」
午後に、われわれはMと共に南カルカッタのハリシュ・パークを散歩した。
スワミジの聖誕記念祭関連の公開集会が予定されていたが、ある理由から中止された。
M「いったい何があったんだろうねえ?
まあしかし、あの集会が中止されたのは良いことだよ。
師はわれわれにこうお説きになった。――『人けのないところで、密かに神に呼びかけなさい』とね。
これは真実だ。
『この場所は神を呼ぶための場所なのだ』――などという看板を掲げる必要などない。
皆が自由に神に呼びかけてよいのだ。
師はよく仰っていた。
『深い森の中に花が咲いている。その花は甘い香りを漂わせ、蜜をいっぱい出している。
そこで”そのような花が森のある所で咲いていますよ”などとミツバチに知らせる必要があるだろうか? 自分で勝手に行くよ。だから、蜂蜜(霊性)を集める方法を学ぶのだよ。』」