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M――使徒にしてエヴァンジェリスト 第七章「真理の化身であるタクルにすがれば、もはや恐れはない」(1)

M――使徒にしてエヴァンジェリスト

第七章「真理の化身であるタクルにすがれば、もはや恐れはない」(1)

 Mは、聖堂の床に敷いてある毛布の上に、北を向いて座っている。一人のブラフマチャーリーが東を向いて彼の傍らに座っている。彼らは神聖な事柄について会話している。

M「(ブラフマチャーリーに向かって)シュ・バーブが私たちに手紙を書いてよこした。ちょっとそれを読み上げてくれ。ところで、お前は彼に手紙を書いて、食物や衣服、享楽に関して倹約することを伝えたのかね? 生活を質素にするためにさ。」

ブラフマチャーリー「はい、先生。単刀直入にではありませんが。それでも私はここで話されたことについては、確かに書きました。例えば、食事と睡眠が人生の目的ではない。神を悟ることが目的である。そして先生がおっしゃること。簡素な生活と高度な思考がなければ、宗教生活は不可能だ。時間のすべてが金を稼ぐことに費やされる。それに加えて、こうした些細なことに従事していたら、どこに神を呼び求める時間があるのか。――このようなことを書きました。」

M「それが彼の心に触れたのだろう。そうでなければ、なぜこんな悔恨の意を表わす言葉を使うのか。彼はこう書いている。『私のサンスカーラと性質は、あまりにも出来損ないで、たとえ私がすべてを持ち、すべてを理解したとしても、私はそれを行動に移すことができません。今や、タクルだけが頼りなのです。このことと、彼の子供たちへの愛情が、私の唯一の慰めです。』」

ブラフマチャーリー「はい、先生。確かに彼は心中を打ち明けています。何度も何度も嘆き悲しみ、こう言っています。『あまりにもひどく俗世の泥沼にはまりこんでしまい、私は自力で自分を引き上げることができないのです。今や、タクルだけが唯一の望みです……。』」

M「おお、良いことだ! 彼が自己をタクルに明け渡せば、他に何が残るのか。彼ご自身が、必要なことすべてをしてくださるだろう。人は大いに世俗に巻きまれる。ゆえにタクルは、日々聖者と交わり、彼らに奉仕すべきだとおっしゃった。そして、ときに群れから離れて隠遁すること。好ましくない環境や、家持ちの生活のまとわりつくような苦境から、時折、自分自身を隔てなければならない。タクルはそのことを力説された。そのときのみ、自分がどこにいたのかということと、どこから来たのかということを比べることができるのだ。

『死を思い起こし、神を忘れずにいなさい。』」

ブラフマチャーリー「私たちを見たとき、彼は言いました。『君はまだ若くて、これを全部行なっている。ところが、私たちは年老いているというのに、何に携わっているというのか。』――こう言いながら、彼は後悔の涙を流しました。」

M(思慮と共感に満ちた声で)「ああ! 彼は真理の権化、タクルを受け入れた。もう心配はない。彼は自分であらゆることを行なうだろう。タクルに泣きつけば、あらゆることが容易になる。夢にも見ることのないような問題が、彼によってたやすくなる。不可能なことが可能になる。グルーデーヴ! グルーデーヴ! グルーデーヴ! 彼は正しい道に通じている。涙がすべてを洗い清める。
 さあ、では、他の手紙も読んでおくれ。」

 ブラフマチャーリーは、別の手紙を読み上げた。それもシュ・バーブによって書かれたものだ。彼はミヒジャにいる、とあるバクタ宛てに手紙を書いている。

『あなたは至福の大海の岸に辿り着いています。今や、恐れるべきものはあるのでしょうか? あらゆる疑念は消滅するでしょう。さあ、自分の魂に仕え、人生の願いを実現してください。私はあまりにひどく混乱し、あまりにひどくこの渦に捕らえられているため、ここから抜け出すことができません。時折、私は腰を下ろし、シュリー・シュリー・タクルの恩寵で、非常に多くの荒れ狂う波を容易く乗り切られる方法を考えています。しかし、それらには終わりがありません。ひとつ過ぎたら、別の波がやってきます。この困難の連続は、私の人生を苦しくしています。バクティの感覚は、心の中に居場所を見つけられず、そこには聖なる言葉も出てきません。幾多の前生のサンスカーラの集積が、絶えず心を悩ませます。どうか私のこの情けない話を、シュリー・シュリー・マーの御足に据えてください。彼は万能でいらっしゃいます。』

M「どうやら、彼は深く混乱している。わがタクルは、彼に正しい理解を与えてくださるよ! これはまさに現世そのものだ。誰もが同じ苦境の中にいる。幾分霊性に目覚めた者たちだけが、この事態を認識できる。彼は、タクルによって確かに祝福されている。そうでなければ、自分の過ちを誰が好きこのんで如実に描写するものか。残りを読んでくれ。」

ブラフマチャーリー「シュ・バーブは、このように書いています。

『私は老齢になりつつあります。私の時代は過ぎていきます。この与えられた人間の体を、私は何に利用してきたでしょうか。ただ煩悩と強欲におぼれていただけでした。あなたのことを考えると、あなたがどれほど幸運であるかがわかります。わたしは始めにタクルの福音を多く読み、さらにそれに耳を傾けました。すべてを放棄した人たちにも出会いましたが、彼らを敬愛することができませんでした。今、あなたのような修練した未婚の若いバクタに会ったり、あなたの放棄と無私のことを考えると、心の奥がひどく苦しくなります。私は心の中で考えます。彼らは私と同じ人間だ。彼らもこの世に生きている。しかし彼らはあれほど多くの帰依を持っているのに対し、私はそれを得ていない。マスター・マハーシャヤの教えにさえ、私は十分に従うことができない。私の残りの日々は、このようにして浪費されていくのか。どうなるのだろう――この感情が私の心に起こるやいなや、私は身を切られるような痛みに苦しむのです。あなたが受けている教えをすべて詳しく書いた手紙を封書で送ってください。私の心はこれらのことをすべて知りたいと切望しています。あなたは(私の手紙を読んで)何も指示を仰いではいませんが、私は自分の問題に対する答えを得ました。ご覧ください、何という恩寵でしょう!』」

M「だから、タクルはこうおっしゃったのだよ。

『それがバクタからの手紙なら、私は触れることができる。バクタの手紙はプラーナ(聖典)だからだ。書いてあるのは神の話だけで、世俗的なことは何も含まれていない』

とね。ごらん、彼がどんな切望を抱いているかを。彼はあれほど老齢で、あれほどの大家族、あれほど多くの所有物、富、財産を持っているにも関わらず、喜びを見出していないではないか。
 これが世俗の苦境だ。タクルはおっしゃっている。

『この世俗の苦境を理解出来る者は、おのれの世俗的な酩酊状態を治す。神の恩寵が彼に下ったからだ。』

 神の恩寵が下ると、タクルがおっしゃっていたように、

『千年の間、暗闇の中に取り残されていた家が、瞬時に照らされる。』

のだ。これが、タクルの希望に満ちたメッセージだ。

 彼が書いたこの手紙――その中に、詩的に誇張した表現は一切ない。それは、世俗のありのままの耐え難い現実である。随筆を書くことはいともたやすいが、この迷宮に捕らえられた者だけが、その状況の深刻さを理解することができる。この手紙の中で、彼は世俗の真の状況を示している。そして、人はまたこのようなイメージも持っている――神がその恩寵で人間をこの世俗の迷宮から連れ出すというイメージをね。
 ごらん、どれほど美しく自身の苦境を描写しているかを。彼はすでにすべての重荷をタクルに委ねたのだから、今となっては、なされるべきことがそれ以上残っているだろうか。キリストがこのように言ったのはそういうわけだ。

『悔い改めよ、天国は近づいた。(マタイによる福音書 第4章 17節)』

『娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。(マルコによる福音書 第5章 34節)』

 懺悔と信仰が完成すれば、あらゆることが達成されるのだよ。」

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