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10.至高の叡智--法の雲

10.至高の叡智--法の雲

 仏教で智慧とか悟りを意味する言葉は、様々あります。
 最もよく使われるのは、プラジュニャーでしょう。これは第六の菩薩の修行で出てきました。
 そしてこの第十段階で出てくるのが、ジュニャーナと呼ばれる智慧なのです。
 普通、この二つの智慧を区別するとき、ジュニャーナを智、プラジュニャーを慧と表わすこともあるようですが、ここでは「叡智」としてみました。まあ、単なる言葉ですので、何でもいいんですけどね(笑)。ちなみにこれはチベット語ではイェシェといいます。

 このジュニャーナの叡智と、プラジュニャーの智慧の違いは、様々な説明がなされていますが、ここではその一つをご紹介しましょう。

 プラジュニャー以前の修行は、この輪廻にどっぷりつかりながら、二元の世界で努力をし、智慧の糧を積み重ねる修行でした。
 そしてプラジュニャーの智慧とは、この二元を超えた智慧の境地、あるいはニルヴァーナの境地を直に悟ることでした。
 そしてその後の修行は、再び輪廻に舞い戻り、プラジュニャーの智慧を土台として、衆生を救済するための智慧、力、心を磨いていく段階でした。
 そしてこの最後の菩薩の段階で現われるジュニャーナ、イェシェの叡智とは、輪廻とニルヴァーナ、あるいは二元の世界と非二元の智慧の世界とが、全く変わらないということを悟る智慧ともいえます。

 あるいは別の言い方をしましょう。普通は煩悩や無明により輪廻に落ちるわけですが、そのような汚れが一切なくなることにより、輪廻から完全に解放されているはずなのですが、強烈で完全な慈悲により、ニルヴァーナにいることもできない状態。この魂は、輪廻にいるとも、ニルヴァーナに安らいでいるとも言えない状態。この状態を無住処涅槃といいますが--この無住処涅槃につながる叡智ともいえます。

 実は仏教だけではなく、ヒンドゥー教やヨーガにおいても、最高の悟りはそういうことなのです。ヒンドゥー教のシヴァ神がにこやかな顔で横になり、その上で狂った妻であるカーリー女神が舌を出して踊り狂う絵は有名ですが、これは、シヴァで表わされる寂静の智慧、真理の絶対性と、カーリーで表わされる、この輪廻の宇宙を形成する動的な力の源(シャクティ)が、実は一体であるという、論理的には一見おかしくも思えるような真理を表わしています。

 最初のころは、二元性の上に立って、真理と非真理を区別し、相対的真理を実践する。
 次に、二元性を超えた絶対の真理を悟る。
 次に、再び二元の世界に下りてきて、救済を行なう。
 そして最後に、二元性を超えた真理と、二元性の世界そのものが、一つであることを悟る。
 
 やっぱり言葉にすると論理的には変ですが、しかしこういうことなんですね。

 そしてこの段階における菩薩は、法の雲(ダルマ・メーガー)と呼ばれます。
 様々な経典や論書を検討すると、これには二つの意味があるようです。
 一つは、その菩薩が、真理の世界から、あるいは様々な如来方から、雲から大雨が降るように、多くの法、真理の法の雨を無限に受けることができるということです。
 もう一つは、その菩薩自身が、無量の世界に対して、真理の法の雨を、自在に降らせることができるということです。

 そしてここまで来た菩薩は、もうあとはブッダとして、あるいは如来として完成する道を進むだけとなります。

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