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餓鬼

 死後、われわれが転生する可能性のある世界のうち、下から三番目の苦しみの世界、それが餓鬼界です。

 餓鬼というと、日本でのイメージは、おなかがぷくっと膨れて、ひたすら食べ物を求めても得られずに苦しむ生き物、というイメージが強いかもしれません。

 それは間違いではないのだけれど、仏教でいう餓鬼とは、本来はいわゆる幽霊のことです。餓鬼は原語はプレータといい、これはもともと死者の霊をあらわす言葉ですが、仏教の教えでは、生き物は死後、わずかな期間だけ【死後の世界(バルドゥ)】にとどまりますが、その後は必ず、どこかの世界に転生します。しかしこの【プレータ(霊)の世界】に転生する魂もいるのです。そのような魂を、プレータ、餓鬼といっているわけですね。

 この餓鬼界に転生する主要因は、執着の心、むさぼりの心です。つまり強すぎる執着により、もっとほしい、もっとほしい、失いたくない、失いたくない、あるいは、独り占めしたい、などと思う心です。
 餓鬼は食べ物に飢えているというイメージがありますが、そのむさぼりの対象は食べ物だけではありません。お金だったり、他の物質だったり、あるいは概念的なものの場合もあります。とにかく、自分がこの世で幸せになりたいという、強いエゴに基づいて、何かを求めるあくなき心です。

 そして餓鬼界に転生するもうひとつの因は、霊的なカルマです。
 餓鬼界は、チャクラでいうとおなかのマニプーラ・チャクラの世界で、ここは霊的な世界への入り口なのです。
 

 ところで日本や、あるいは他の国でも、霊能者的な人がいて、よく、『あなたの後ろにこういう霊がついています』と言ったりしますね。
 今回はあえてはっきりと書きますが、そういう人たちとは、できるだけかかわらないようにしてください。
 というのは、まあ、そういう霊能者の中には、単なるインチキや思い込みで言っているだけの人もいるでしょうが、それはもう論外として、本当にそういう霊を見たり感じたりする場合、その霊能者自身が、この餓鬼の世界のカルマがあり、餓鬼の世界とつながっているからです。

 私も、多くの人と接したり、修行が足りなかったりしてエネルギーレベルが落ちると、幽霊を見ることがあります。しかし修行し、エネルギーと心の状態を高い状態に戻すと、それらはすっと消えます。見たり感じたりするものは神や仏陀や菩薩だけになり、教えに基づいた、光や至福や寂静といった経験のみをするようになります。

 ちょうど私たちの周りに、動物界の魂、つまり動物がたくさんいてうろうろしているように、餓鬼の魂も、実際に私たちの周りにうろうろしたりしているのです。そして一人の人間につきまとって、気まぐれで悪さをしたり、あるいは気まぐれで守ってくれたりすることもあります。
 しかしそれは、その人の親族とか先祖とか、そういうものとはまったく関係ありません。

 では、よく霊能者が、『あなたにお父さんの霊がついているのが見える』などと言う時、その霊能者は嘘を言っているのでしょうか?
 これについて、チベット仏教のギュメー寺館長であった故ドルジェ・ターシー師は、このように言っています。
『それは、その人についている霊が、(その人の親族などの)姿をして出てくるのです。みんながびっくりしたりありがたがったりするのを、面白がっているのです。』
 これは、ミラレーパの物語にも同様の話があります。ある幽霊が、ある死者のまねをして出てくるんですが、ミラレーパに見破られて退散するという話です(笑)。

 つまりすべての生き物は死後、転生をし、前にいた世界とは何の関係もなくなるので、自分の親族や関係者が守護霊としてつくということはありえないのです。霊がつくとしても、その霊はカルマ的な縁はあっても、基本的にはあまり関係のない霊です。つまり霊能者のほうがそのいたずら好きの霊に、まんまとだまされているわけですね(笑)。

 だからできるだけそういう霊能者とはかかわらないほうがいいです。霊を見てもらうとか、前世をみてもらうとか、おはらいをしてもらうとか、霊的なエネルギーを送ってもらうとか、そういうのは一切やめたほうがいいです。
 そういう方法で一時的に物事がよく進むこともあるでしょうが、そういうことをやればやるほど、どんどん餓鬼の世界に引っ張り込まれます。
 つまり、この世のいろいろなものに対する執着や、強すぎるエゴイズム、これが霊的なものと結びついたとき、まさにそれはわれわれを餓鬼界に引きずり込む因となるのです。だから『現世の幸福を求めて霊的な力を借りる』というのは、最悪なんですね。

 私は悟りのために努力するのが最高だと思いますが、まだそういう世界に興味がない場合、現世の幸福のために努力することが悪いことだとは思いません。その人のカルマに応じて、興味を持つ対象に、全力で努力するのは良いことです。それもカルマ・ヨーガといえます。
 しかしそこに霊的な力を使ってはいけません。この世において、まっとうな努力だけをしてください。霊的な力に頼って、現世の欲望を満足させようとした場合、餓鬼界に引っ張り込まれます。

 苦悩についても同様です。あなたがこの世で苦しみを味わうのは、霊のせいでもなければ誰のせいでもなく、あなたのカルマです。つまり自分が過去になした悪業が返ってきているだけです。それを霊のせいにして逃げると、一時的には楽になりますが、結局これもどんどん餓鬼の世界へと引きずり込まれることになります。

 だからそういう世界とは一切手を切るのが賢明だと思います。
 この世で幸福になりたいなら、この世におけるまっとうな努力だけをするべきです。徳を積み、戒を守り、そして目標に対する現実的な努力を行なうことです。

 ただし、すでに餓鬼界と強い縁があったり、あるいはマニプーラ・チャクラが開いてきたりして、悪霊がいろいろ自分に悪さをしてきたり、修行の邪魔をしてきたりする場合も確かにあります。
 この場合、おはらいをしてもらったり、そういう霊的な対処をしてはだめです。それはよりその世界と縁を強める結果となります。
 ではどうすればいいのでしょうか? 簡潔に言えば、三宝帰依と四無量心です。
 仏陀、仏陀の教え、そして仏陀の教えを実践し達成した聖者たち--こういった対象に帰依している人を、悪霊は襲うことができません。レベルが違いすぎるのです。
 また、慈悲喜捨の四無量心の心に満ちている人にも、悪霊はかかわることはできません。
 ですからもしあなたが霊の障害を恐れるならば、最高の対処法は、自分自身の四無量心を強め、そして仏陀と教えと聖者たちに帰依し、その教えを日々実践することです。

 さて、この餓鬼というのは、いわゆる低級の霊といえますが、この霊がもう少しレベルが上がった場合、ヤクシャ(夜叉、鬼神)という存在になります。これは一番下の天界に属する、霊的な神です。詳細は長くなるので書けませんが、神なので、善をなし、悪を絶つことをよしとし、そのような功徳の理論に基づいて、人に恩恵を与えますが、少々観念的なところもあります。
 このヤクシャや、他の低級な神が、われわれを守ってくれることもあります。これは餓鬼に比べたらありがたく優秀な守護神ですが、こういった欲界の神の守護神は、われわれがこの世で幸福になる手助けはしてくれますが、もしその人が修行の道に入ったりしたら、逆に邪魔をしだします。
 そして過去世から正しい修行をしている人や、今生で修行をしてより高い世界と縁を作った人は、より高い守護神に守ってもらうことができます。この高位の守護神は、その人が解脱するように、悟りを得るように、そして菩薩の道を歩くようにと、導いてくれるでしょう。しかし逆にその場合は、この現世で幸福になれるかどうかはわかりません(笑)。悟りのために、現世をめちゃくちゃにされる場合もあるでしょう(笑)。

 さて、長くなったので、最後に要点をまとめましょう。
・むさぼりに苦しむ低級な霊的世界が、餓鬼界です。
・ここに落ちる因は、現世の欲望へのむさぼりの心と、霊的なカルマです。
・霊能者は自分が見ている餓鬼の世界の話をしているだけなので、かかわってはいけません。かかわると自分も餓鬼の世界に巻き込まれます。
・幽霊は普通にわれわれの周りをうろうろしていますが、それを見ても、気にしても、まったく利益はありません。
・もし霊的な障害を受けていると感じるならば、おはらいその他の霊的な対処をしてはいけません。仏陀や聖者に帰依し、正しい教えを実践し、そして四無量心の心を修習することです。
・もし前世を見たかったら、自分で修行して正しい神通力を身につけてください。霊能者に見てもらってはいけません。
・もし霊的な世界に興味があるなら、徳を積み、戒を守り、修行して、高位の霊的世界にアクセスしてください。
・徳があり、戒を守っている人には、まず低い天界の守護神がつき、現世幸福へと導いてくれます。
・正しく修行している修行者には、高位の守護神がつき、悟りの手助けをしてくれます。

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