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解説・アーナンダマイー・マーの教え(12)「唯一者を見つけるには」

◎唯一者を見つけるには

【本文】

唯一者を見つけるには

 唯一者を見つけるには
 彼を求めて、泣き叫ぶほどに切望することです。

 安穏と幸運の時期にも、
 逆境と苦悩の時期にも、
 ただ彼だけに、避難所を求めてください。

 いつでもどんなときでも、彼を求める心を保ち続けてください。

 彼こそは完全なる慈悲であり
 幸福の泉であり
 完全なる至福なのです。

 これもラーマクリシュナの教えと似てるけどね。つまり、すべてのスタートは熱意だと。ね。これもなんかちょっとインテリ系の変な仏教とかヨーガの知ったかぶりの人の話に惑わされちゃいけないよ(笑)。「悟りを求めてもいけない」とかね、よく言う人がいるけど(笑)、超・求めなきゃ駄目です。

 これもさっき言った自我意識の話と同じで、われわれは悟りを求めちゃいけないとかいいながら、違うものいっぱい求めてるから、すでに(笑)。だからその違うものを遥かに超えるくらいの熱意を神や悟りへに向けないと、論理的に言って手に入れられるわけがない。

 心ではさまざまな欲望を追求してて、ちょっと「神よ」とか言ってると。これが叶うわけがないよね。だからラーマクリシュナの言葉で言うと、「あなたが仕事のために向ける努力、熱意。あるいは、妻のために向ける熱意。子供のために向ける熱意。こういったものをすべて集約して、神にただ向けなさいと。そうすれば悟れるでしょう」と。

 でも、われわれはそういうことはやってない。なんとなく上っ面で「神よ!」と言ってて、「ああ、なかなか修行達成できないんです」と言ってる。で、一方では八十パーセントぐらいは違うことにバーっと向けている(笑)。これで達成できるわけがない。

 だから、スタートは強烈な熱意。つまり、これははっきり言うと、別の言い方をすると「欲求」です。つまり、強い欲求が必要なんです。これはお釈迦様も同じこと言っています。お釈迦様は欲如意足って言ってるんだけどね。欲如意足、つまりまずは欲が必要だと。

 みんな勘違いしてるかもしれないけど、欲っていうのは別に悪いものではないんです。欲の対象が問題なんです。つまり、自分を本当は幸福にしない苦しめるものを欲求してるから問題があるんだね。例えば、煩悩を追いかけたって、それは自分を本当の意味では幸福にしてくれない。すべては無常だと。だからそれを欲求してはいけない。じゃなくて、悟りを欲求しなきゃいけない。これが、すべてのスタートだと。あるいは、神を、仏陀を欲求しなきゃいけない。

 だからそれは、まさに泣き叫ぶほどにね。またラーマクリシュナの言い方をすると、

「あなた達はお金が無いと言っては泣き、あるいは妻のためには桶一杯分ほどの涙を流すと。しかし、神を得られないと言って泣いたことがあるのか」

と。つまり、もし君が「なんでわたしは神を得られないんだー! うわー!」って泣くことができるならば、瞬間的に悟るだろうと。つまり、熱意が大事なんだね。それを日々心の中で培わなきゃいけない。

 そしてそれは、安穏と幸運の時期にも、逆境と苦悩の時期にも同じようにね、ただ神だけに避難所を求める。つまりこれは、どっちかによく人は偏るから。ある人は、幸せなときは「神よ!」って言ってるんだけど、苦難に襲われるともう心が動転して、すべてが吹っ飛んでしまう。あるいは逆パターンの人は、苦悩のときには神を求める。でも幸せなときには神への思いはどっかにいってしまう。じゃなくて、幸福であろうが不幸であろうが、安穏であろうが逆境であろうが、常に第一優先は神だと。こういう気持ちを忘れてはいけないっていうことですね。

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