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解説「菩薩の生き方」第十八回(5)

 はい。しかも、さらに言うならば、

「この菩薩である自分が、何か罪を犯して修行が遅れた場合――自分の解脱しか考えていない修行者にとってはそれは自分の修行が遅れるだけですが、菩薩にとっては、自分の悪業イコール、縁ある仲間たちが苦しみの世界から救われるのが遅れる、あるいは救われない、ということにつながってしまうので、大変なのです。」

 ね。大変なことであると。つまり皆さんは、そうだな、つまり大いなる責任がもう生じてしまっていると。だから皆さんの進退が、多くの衆生の運命を決めてしまうと。例えば、多くの株主を持った社長みたいなものだね。あるいは多くの人に大金を賭けられた選手みたいなものだね(笑)。いろんな例えができるけど、つまり多くの人の、ただの人生ではない、あるいはただのお金でもない、魂の運命を賭けられてしまったと。もう壮大な話だけどね。でもそれくらい壮大に考えるといい。多くの衆生の運命をわたしは担ってるんだと。だから、繰り返すけど、わたしがもし悪業をなすならば、あるいは心においてけがれを持つならば、修行が後退する、もしくはうまく進まないっていう状態になる。それは個人の問題としてはもう個人の勝手ですよね。「あの人、あんまり頑張ってないからあんまり進まないな」とかね。「またあの人は悪いことしてるから遅れたな」とかね。個人の勝手だけど、菩薩っていう意味では勝手じゃないですよね。多くの人の運命がかかってると。うん。もちろんそれは意識的には気付いてないが、そのような縁ある衆生から見たら、魂が見たら、「あいつ何やってるんだ」と。ね。「また悪業した!」と。「おれたちの救いはどうなるんだ!」と。あるいは「またなんか怠けてる」と。「今でさえ、あいつが全力で頑張っても、おれたちが救われるのはもしかすると十生先かもしれないのに、寝てる!」と(笑)。あるいは「自分のカルマと戦おうと全然してない」と。「あいつは何やってるんだ。おれたちのことを全く忘れてるんじゃないか」と。そういう感覚ね。
 だから、それを普段からしっかりと思い出し――もちろんそれは、見えない世界かもしれない。もちろん自分の見える世界でイメージしてもいいよ。つまり自分の家族や、あるいは昔の友人とか。あるいはもちろん今周りにいる同僚とか知り合いとかでもかまわない。もちろん彼らが今生修行するのかどうか、あるいは実際に今生救済されるのかどうか、それはもちろん分からないけど、しかし一応イメージとしてね、いろんな人をイメージして、みんなのために修行しようと。わたしが修行を進めることで、彼らも一歩、修行の道や、あるいは救われる道につながるんだと、そういうことを普段から考えるといいね。
 はい。だから、よって、「そのような自覚を持って菩薩は日々、注意深く生きる」と。注意深くっていうのは、いつも言ってる念正智の世界ですね。念正智っていうのは、繰り返すけど、自分で自分の心をチェックして、「さあ、自分は聖なるダルマから外れていないだろうか?」と。「自分の理想から外れていないだろうか?」と、これをチェックし続ける。で、それを、今言ったように、じゃあ、なんでチェックするんですか?――それは自分の修行の達成のためだっていうのがベースですけども、それだけじゃなくて、ちょっとでも変な方に行ってしまったら、多くの衆生の救済が遅れるんだと。それを常に考えて、そのために、もうほんとに、なんていうかな、一瞬一瞬緊張して、自分の心を見張って、できるだけ早く、あるいはできるだけ先に、つまり理想の完成に向けて、この人生の中で一歩でも二歩でも進むような人生にならなきゃいけない。それを常に考えなきゃいけないっていうことですね。

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