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解説「菩薩の生き方」第十五回(2)

 「『徳のない状態』という貧困をなくし、煩悩という衆生の病を治し、輪廻にさまよう衆生に安らぎを与え、輪廻や修行の難路を越える手助けをし、世界の無智の暗黒を払う!」

と。これがまさに菩提心なんだと。これは、皆さんはほんとに――皆さん、だからもう一回言うと、たとえで言うと、盲人が、あるいは非常に貧しい人が、偶然ものすごく素晴らしい宝石を手にしたようなもんだと。しかし皆さんはその価値をよく分かってないんだね。うん。一瞬、「あ、素晴らしい!」と思ったかもしれないけど、価値がよく分かってない。だからそれを粗末に扱ったり、あるいは使うべきところで使わなかったりしてるのが、皆さんの今の状態ですね。
 だから皆さんは、その意味では中間状態っていえる。中間状態っていうのは、もう一回言うよ――ほんとにほんとに徳がなく智慧がない魂は、菩提心の素晴らしさが分からない。なんでそんなことするんですかと。なんで自分よりも他のことを考えなきゃいけないんですかと。なんで自分のことをゼロにしなきゃいけないんですかと。全く分からない。そうじゃなくて、ほんとに徳があり、智慧があり、覚醒した魂は、「え? 菩提心がすべてですよ」と。そして実際に心が菩提心で満ちていると。菩提心こそが自分の行動原理、自分を動かす行動原理のすべてになっていると。はい、そして皆さんはその中間状態ね。中間状態っていうのは、菩提心の素晴らしさには気付いていると。で、調子いいときは「やるぞ!」と思ってる(笑)。しかし、すぐ忘れる。あるいは、今言ったように、なんていうかな、ほんとの意味で価値を分かっていない。ほんとの意味で価値を分かっていないから、使うべきところに使えなかったり、あるいは忘れて、忘れることによって余計な苦しみに没入したり、あるいは多くの過ちを犯したり。
 ちょっとそれ、使いなさいと。あなたの心のタンスの一番上に入ってる菩提心(笑)、それこそ使えと。ね。例えばなんか事業で大失敗して、「もう何もおれにはなくなった!」って言ってる人に、おまえ、あそこの戸棚の中にあそこの株入ってるじゃないかと。あの株あったらなんでもできるよと。なんで使わないんだと。そういう感じだね。それが皆さんの状態。
 つまり、素晴らしさは分かってる。あるいは使うときは使うけども、多くの場合使っていないと。あるいはその素晴らしさを分かってるとはいえ、ほんとの意味で分かっていない。なんとなくは分かってるけども、それがほんとに――繰り返すけども、これはオールマイティーです、菩提心は。オールマイティーな、なんでも、つまり、もうこれ持ってたら――ゲームでもなんでもいいけども、これ持ってたらもうほかの武器とかチャラじゃんみたいな、関係なくなっちゃうんじゃないか――というくらいの、それずるいよ、というぐらいの武器、これが菩提心なんだね。
 しかし、繰り返すけど、この公然たる秘密の武器である菩提心を、まず手にする、あるいはそれにあこがれる、「いいな」と思える人も少ないわけだけど、しかしそれをそのように手にしたとしても、十分にそれを使える、あるいはその力を信じられる人っていうのはまだ少ないっていうか、みんなその中途段階にいるわけですね。だからそれを高めていくのもまた修行とはいえる。
 つまり、ひたすら菩提心――もちろん菩提心っていうカテゴリーの中には基本的なね、慈悲、四無量心、全部含まれるわけだけど、四無量心、慈悲、菩提心、あるいはトンレン的なああいう考え方、あれを自分の心の中心において、もちろん実際にはまだまだ自分はそうじゃないだろうから、なんていうかな――いつもそうじゃなきゃいけないっていうんじゃなくて、武器としていつもそれを使えと。自分がもし心が苦しいんだったら菩提心使えと。トンレンでもやってみろと。あるいは自分の修行がなかなか進まないと。物事がうまくいかないと。菩提心が足りないんじゃないかと。四無量心が足りないんじゃないかと。そっちの方にもっと目覚めてね、力を使えということですね。
 はい。じゃあ、ちょっと戻すけども、それはまさに、菩提心を持つことによって――貧困という比喩で表わされる徳のない状態はなくなり、煩悩という病、これを菩提心は治してくれると。
 そして、

 「輪廻にさまよう衆生に安らぎを与え、輪廻や修行の難路を越える手助けをし、世界の無智の暗黒を払う!」

と。
 今言ったように、ほんとにもしその使い方を理解するならば、それはオールマイティーな、もうどんなことでも達成できる、まさに如意宝珠のようなものであるっていうことですね。

 「このような菩提心は、正法の牛乳を攪拌して生じた新鮮なバターである。」

 つまり、お釈迦様がお説きになった正法は、さまざまな表現でさまざまな角度から説かれたわけですが、それらを攪拌して現われた新鮮なエッセンス、それが菩提心だと。これは読んだとおりのたとえだね。教えという牛乳を撹拌し、純化し――このたとえはギーでよく表わされるよね。つまり牛乳を撹拌したり、あるいはいろんな工程を経ていって、例えばバターミルクやヨーグルト、その他いろんなものができていくと。どんどんどんどんやっていくと最終的にバターになる。そのバターをさらに熱し純化することで、最後に残る最も純粋な油、それがギーであると。そういうフィーリングだね。この、一見多様に見える、いろんなことを言ってるように見えるこの仏法というもの、仏陀の教えっていうものを徹底的に撹拌し、純化し、そして沸騰させ、最後に残る――最後に残るっていうよりも、そのすべてのエッセンスとしてもともとある最高のものが、菩提心なんだということですね。

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