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「心の本性と、瞑想の修習」②

 さて、智性の劣った者の、瞑想経験のパターンを見てみましょう。

 ――ちょうど、水がうねり、荒れ狂うように、
 光輝くイメージは、不鮮明になり、不確かになるでしょう。

 そわそわして、気まぐれで、あらゆる観念に屈する心は、
 さまざまな誘惑に固執するでしょう。

 空の中の星々のような神秘的意識、高度なヴィジョンと
 完全な光輝、透明な純粋意識である心の本性は、
 それゆえに生起しないでしょう。

 よってまず、すべては一つであるという経験の中に確固として落ち着くことが必須となるでしょう。

 ヴァイローチャナの座法(蓮華座を組み、法界定印を組み、背筋を伸ばし、舌を上口蓋につけ、ゆっくりと呼吸する)をとり、スメール山のように不動になります。

 ――限界を外した感覚は、まばゆいばかりの星々のすばらしい反射のようなものを見るでしょう。

 心の本性を解放し、光り輝かせてください。
 まばゆい空のように。

 興奮状態でも
 愚鈍な状態でもなく、
 すべての誘惑から切り離された状態にとどまってください。

 そのとき、そこには、実在の一元性、原初の領域、
 主体と客体への現象化に先行した法身があります。

 汚れのない太陽光線のようなエネルギーで満ち溢れたパワーは
 至福、光輝、非二元性、周辺も中心もないものから立ち昇るでしょう。

 顕現と空性は、包括的な一元性にすべて融合します。
 
 ――存在と非存在の境界を超えて、
 架空性と非活動の不可分があります。

 そして、知ることと知られることは一つのリアリティとなります。
 ――これは、同一性でも、非同一性でもない、法界を見ることなのです。

 これは、純粋意識が「崇高な真理」を理解する因となるのです。

 ――その後、勝者によって例証された、最もすばらしい法身が、
 このありのままのリアリティを見る心の目によって直感され、
 幸福な人々は、永遠に寂静にとどまるでしょう。

 心の本性、生じることのないもの、空のように純粋な空性に、
 精神的な事象は、客観化されるべきではありませんが、
 雲のようにふわふわとまばらに現われることがあります。

 それらを興奮せずに識別する、分析智のプロセスによって、
 無始の時からあり続け、ありのままであるこの領域に落ち着くでしょう。

 大海のように、光り輝き、穏やかにさせてください。
 波を立てずに、主体と客体というヘドロから解放させてください。

 大空のように、解放させ、光り輝かせてください。
 横道にそれることなく、概念という雲もなく。

 大きな山のように、堅固に、不動にさせてください。
 期待も恐れもなく、肯定も否定もなく。

 大きな鏡のように、透明に、鮮明にさせてください。
 そこに絶え間なく現われる顕現の対象のイメージと共に。

 その始まりから自由に、そこにとどまっている虹のように、
 心を動揺させる興奮も後悔もない状態で、
 透明・鮮明にさせてください。

 取り乱すことのない射手のようにあらせてください。
 その本質的な純粋意識性の中で、エネルギーを集めるのでもなく、それ自身へ引きこもるのでもなく。

 技術を完全に身につけた職人のように、
 ありのままに存在させてください。期待や恐れなしに。

 これがサマーディの経験であり、本質的な純粋性なのです。

 ――ここにおいて、寂止と正観は結合されています。

 生じることのない領域にとどまることによって、寂止が生じます。

 その光輝、空性についての事柄から自由になることによって、正観が生じます。

 それらの分けられないものは、
 それらが一つの真実になることによって、一つになるのです。

 このときから、心の本性のエネルギー、自性、空性を、
 あらゆる事柄を内部に持たない、すべての言語による表現を超えた意味として理解するでしょう。

 完全に概念化することのできない純粋意識の始まりは、
 識別智の機能を超越した、純粋な光輝なのです。

 このとても光輝いている心を直接見ることよって、とても寂静になり、
 そして外側、または内側を肯定、あるいは否定したいという欲望は減少するのです。

 この開かれた領域によって、平等なる慈悲が生起し、
 そして人は駆り立てられ、自己と他者の真の利益となることに従事することでしょう。
 彼は今こそ、自己と他者の救済への道をつかんだのです。

 その後、彼は、もっともっと深くこれと関わりを持つようになります。

 彼の心はより透明になり、純粋意識はより遠くに広がるでしょう。
 そして彼は、すべては夢や幻影のようであると完全に理解するでしょう。

 彼が、生まれるのでも、生まれないのでもないものとして
 存在するものすべてを見るとき、
 非二元性が確立している領域で、すべてがただ一つの味だけになり、
 拡大しきった純粋意識が、完全なる無分別智となるでしょう。

 そして、純粋な歓喜で装飾されたサマーディへと到達するでしょう。

 そのとき、身体と心は、より純粋になるでしょう。

 そして正しい理解は、方便と叡智が全く汚れなく合一する中で、現われるでしょう。

 神秘的な知覚で、彼は、慈悲によって、衆生の確かな幸せを理解するでしょう。
 そして輪廻の世界への嫌悪感によって、彼の心は自ら解放されるでしょう。

 そして夢の中でさえも、すべての事物はこのようなことだという理解が生まれるでしょう。
 興奮と後悔から解放され、昼と夜から解放され、サマーディの経験は確定されるでしょう。

 そしてそのような人は、聖者の道を素早く理解するでしょう。

 その後、彼の経験がさらに深さと激しさを得たとき、
 サマーディの経験、かつてなかったほどの悟りという太陽が現われるでしょう。

 そのすべての意味を理解し、その一元性の境地に至った後、
 彼はヴェールを剥ぎ取られ、神秘的な知覚を支配し、
 百、千、十億、あるいはそれ以上のブッダの領域を見るでしょう。

 そのとき、「それに到達している」という直接の意識である、
 常に変わらない優れた純粋意識が現われるでしょう。

 この経験をさらに強く、深く育てることによって、
 存在の理解の中のサマーディの経験は、数え切れないほど多くの特質を得るでしょう。

 ――一様に存在や概念の不在の中にとどまっている法界から、
 神聖な滋養という雲のような純粋意識は、無垢に広がるでしょう。

 寂静と非寂静が一つであるところの寂静の状態の中に永遠に安らぎ、
 想像もつかないほどの広大な法の顕現を誇示するでしょう。

 そして彼は、無限のブッダの領域、原初のヴィジョンの中に入るでしょう。

 サンスカーラが明白になるとき、
 そしてその無限のブッダの特質によって、
 それらのサンスカーラを超越するための神聖な人生が、
 とても広く広がり、汚れのないものとなったとき、
 「究極の目標に人を近づけるもの」と呼ばれる純粋意識を操り始めるのです。
 
 それによって、優れた道の完成を得、「躍動する神秘智」と「完全なる叡智」は速やかに悟られるでしょう。
 これは、透明な光輝のエネルギーによる霊的探求なのです

 ――それによって、幸運な人々は、今生で、完全な自由という到達点を悟るでしょう。

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