解説「菩薩の生き方」第十二回(5)
そして、繰り返すけども、本当にジュニャーナヨーガ的に自分の過去からの悪業を分析したならば――ジュニャーナヨーガ的って言ってるのは別に難しい話じゃなくて、まず教えがありますよね。教えの基準がありますよね。つまり、こういう悪業をなすとこうなりますよっていう例えば基準があると。そして、まあ、もう一つは、もうちょっと深い話でいうと、結局この世界っていうのはバルドですから。この世も、あるいは死んでいくのもバルドだけど、あと生まれ変わるのもバルドですけど、結局すべてバルドです。バルドって言ってる意味は、心の表われっていう意味です。すべては心の表われですよと。心が世界を作りますよと。これも結局は瞑想経験がないと難しいんだけど、でもわたしとか、あるいはいろんな聖者の瞑想経験を皆さんは学べる経験があるからね。
わたしも何度も言ってるよね。わたしの一つの経験として、例えば非常にいいバルドに入って、素晴らしい至福の天界のような、非常にエクスタシーに満ちた、白い光に満ちたバルドがありますと。で、そのバルドにいるときに、ほんの一瞬、ね、ほんとにちょっとだけ、心にちょっとだけ悪い感情がわくと。ほんのちょっとね。ほんとにそれはゴミみたいな感じで、例えば「ああ、あの人こうだな」とか、ちょっとしたのがわいたとするよ。それですべてが変わります。一瞬のその点によって、すべてが地獄に変わります。それはおどろおどろしい殺伐とした世界にブワーッて変わります。
今何を言ってるかっていうと、これはシャーンティデーヴァとかもよくそういう極端な話してるけど、実際これは極端じゃなくて、例えばそうだな――じゃあ、リアルに言いましょう。皆さんが例えば何かでカッとして、「おまえ死んじまえ!」と、まあ言わなかったとしても、それくらいの怒り、嫌悪を向けたとするよ。これで皆さん、そうですね、ちょっと一応の言い方するけども、そうですね、五億年ぐらい地獄に落ちると思ってください(笑)。一瞬、「おまえなんか死んじまえ!」――五億年地獄です(笑)。これだけ厳しい。これは別に「そういう法則性ですよ」って言ってるっていうよりは、繰り返すけど、心の働きですから。心が世界を作る。で、この相手に対する殺伐とした攻撃的な世界が、なんていうかな、それによって成り立った世界にわれわれは行かなきゃいけないんだね。で、その強力な心の働きが作る世界っていうのは、皆さんの想像を絶する世界である。
繰り返すけども、皆さんが何気なく許してる自分のいろんな、まあ怒りだけじゃなくてね、いろんなけがれた心の働き、この一個一個が、ある場合は何十年、ある場合は何万年、ある場合は何億年という、皆さんの苦しみの未来を作ることになります。で、そのような一瞬一瞬の心の働きですらそうだとしたら、一瞬でない、長きに渡って皆さんが行なってきたいろんな悪業がありますよね。それがもたらす将来の果報っていうのは一体どうなってしまうんだと。これはもう大げさなぐらいに考えた方がいい。
そして確実に、皆さんが解脱しない限りは輪廻転生はあります。確実に、解脱しない限りはって言ってるのは、分かるよね? つまり皆さん解脱したら――解脱したらっていうか覚醒したら、つまりカルマの輪から外れたら、関係ありません。結局輪廻も幻ですから。そのとき初めてそう言える。解脱して初めて、「ああ、結局輪廻は幻ですから、地獄も天もないですよ」と、初めてそう言えるんだけど、そうならないうちはあります。つまり皆さんがこの世界を信じてるのと、この世界をリアルだと思ってるのと同じレベルで、同じぐらいのリアルさで当然地獄も、あるいは天も、あるいは他の世界もあるんだね。
だからそれを考えて。ひたすら日々懺悔をし――ここでいう懺悔っていうのは、繰り返すけども、現実的対応ですから。現実的対応。だって自分が自分の悪業に気付いてなかったらまずいからね。気付いてなかったらそれに見合う努力をしないじゃないですか。だから小さいころのことから考えて、小さいころからやってきた悪業、あるいは真理に出合ってからもそうですけども、あるいは最近のことも含めて、小さなことでももし悪業を見つけたならば、一体どうすればそれを浄化できるのかと。
で、いつも言うように、醤油理論っていうのもあるから。醤油理論っていうのは、悪業は早く浄化した方が当然早く取れます。絨毯の醤油を早く拭いた方がきれいに取れるようにね。だからほんとに、その意味でも日々念正智を繰り返す。さあ、今日は悪業積まなかったかなと。心の面も含めて悪業積まなかったかなと。ちょっとでも積んだと思ったら、それをいかに浄化するか、そこに全精力を捧げると。そしてもちろんそれだけでもいっぱいいっぱいだろうけど、それだけじゃなくてもう過去に、はるかな過去から積んでしまったものもいっぱいあると。だからもうほんとにもう忙しいよね。まさにここに書いてあるように、われわれはほんとにくだらない、さっきから言ってるような瞬間瞬間に生じる執着とか嫌悪に翻弄されてる暇はないと。それよりももうこの自分が積んでしまってる悪業の浄化で頭がいっぱいなんだと。
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