解説「菩薩の生き方」第十七回(3)

あらゆる方便に通じて、すべての苦しみから解放され、三宝に帰依し、ブッダの法則の大宝を持つ者となりますように。
まあ、この辺はわかりますね。ちょっと長くなっちゃうので、あんまり突っ込みませんけどね。
慈愛・哀れみ・称賛およびとらわれのない心を持ち、布施・戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定(ぜんじょう)・智慧によって飾られ、功徳と智慧の資糧をすべてまどかに具え、相好(そうこう)が明らかであり、不可思議の十地に間断なく進みゆく者となりますように。
はい、これも修行の話ね。慈愛・哀れみ・称賛・とらわれのない心――これは四無量心ですね。四無量心をしっかりとみんなが持ち、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜ね、六つのパーラミターの菩薩行をしっかりと具足、身につけますようにと。
そして、「功徳と智慧の資糧」。功徳と智慧っていうのはつまり、修行者あるいは菩薩が積み上げなきゃいけない二つのものですね。智慧――これはつまり究極の智慧ね。一切は幻であり、一切は空であると。あるいはヨーガ的にいうならば真我の悟り。で、これは当然、なんていうかな、段階があるわけだね。最初のなんとなく言葉で理解した段階から、徐々に直感的な理解、そして悟りにつながると。で、悟りも実は段階があります。例えば真我とかいったって、どれだけ真我を悟ってるのか。あるいはその奥にあるブラフマン、至高者をどれだけ悟ってるのかとかね。それは全然違いますよね。
はい、で、そのような究極の悟りとは別に、功徳――この功徳っていうのは二元的な世界におけるエネルギーね。うん。これはまた全然別問題ですよね。しかし高い解脱するためには徳が必要だし、もちろん救済をするためには徳が膨大に必要であると。だから菩薩、あるいは高い解脱を目指す者は、ひたすら徳を積み続けなきゃいけない。で、同時に究極の悟りもひたすら究め続けなきゃいけない、ということだね。その二つをしっかりと「まどかに具え」と。まどかにっていうのは、完璧に、完全にそれを具えていく者となりますようにと。
「不可思議の十地」っていうのは、これは前にやった菩薩の十地と十波羅蜜っていう話がありましたね。つまり十のパーラミターと十のステージっていうかな、菩薩の十のステージがありますと。で、その十のステージをしっかりと間断なく進んでいきますようにと。
はい、そして、「私もまた」――つまり、ここまでみんなのことを願ってたわけだけども、わたし自身も、これを祈ってるわたし自身も、それらによってしっかりと飾られて、「すべての罪悪から離れ、すべての衆生を慈しむ最勝の者となり、あらゆる衆生が願望するところの善をすべてまどかに具して、常にあらゆる衆生の苦しみを除く者となりますように。」と。つまりわたしも、今衆生に対して願ったような一切のものを身につけて、常にあらゆる衆生の苦しみを除く者となりますようにと。
つまり言い方を換えれば、これは決意でもあるね。常にわたしは一瞬一瞬、あらゆる衆生の苦しみを取り除く存在になるぞと。そうならせてくださいと。わたしはそのようになりますと。そういう発願であり決意といってもいいね。
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