yoga school kailas

解説「菩薩の生き方」第十七回(2)

 すべての衆生が、学と行を具(そな)える者となりますように。

 学と行ね。簡単に言うと教学と修行。行っていうのは、そうですね、実際の修行もそうだし、あとまあ実践といってもいいね。これは何回かわたしも言ってるけども、つまり修行の三本柱を言うとするならば、教学と、それからヨーガ修行、そして実生活における実践と。この三つがうまく絡み合い、で、どれかが欠けるとちょっと片手落ちになってしまうと。だからまあ、そのことを言ってるといったらいいね。つまり、みんながしっかりと教学し、教えを身につけ、で、実際に修行もなし、そして日常においても真理を実践しますようにと。

 衆生が容色を持ち、姿が美しく、威光が優れ、見るに麗しく、病なく、力を具え、長寿でありますように。

 
 はい、このナーガールジュナの願いは、もちろん一切衆生が早く、最終的な完全なる解脱をしますようにと。それは最終の願いなんですけども、もちろんそれだけじゃなくて、一般的にいってもみんなが幸せであってほしいと。だからこういう現世的なっていうか、一般的な項目も挙げられてるわけですね。つまり、みんなが美しくなりますようにと。そして威光ね――威光を発するような輝ける存在になりますようにと。そして、当然病気っていうのは苦しいから、みんなが病なくありますようにと。力を具え、長生きしますようにと。もちろん実際には長生き自体にはそんなに意味はない。どうせ生まれ変わっちゃうから。しかしもちろん真理っていうものに出合ったならば、当然長生き――もちろんその真理を確定したら別ですけど、長生きした方が時間はあるからね(笑)、いいですよね。
 だから単純に厳しく、「もう現世なんかどうでもいいから修行だけできればいいんだ」じゃなくて、優しさによってね、みんな早く修行に巡り合ってほしいと。早く解脱してほしいと。しかもその修行してるとき、頑張ってるときも幸せであってほしいと。うん。みんな病なく、美しく、いろんな幸せな状態で、健康で、安らかな状態で修行してほしいと。こういう優しさっていうか愛ですよね。じゃなくて、「病気? いいじゃないか」と。「醜い? 体が弱い? そんなことどうでもいいじゃないか」と。「そんなことは真理とは関係がない」と、こういう言い方もできるわけだけど(笑)、でもやっぱり愛があると、そこを許せないわけですね。いや、それは確かにそうなんだけど、みんなが苦しみながらひどいカルマの中でもなんとか修行して最後解脱すればそれはいいんですけども、でもやっぱりそれも見てられないと。だからみんなできるだけ、まだ解脱しない間も、解脱しないでこの世でもがいてる間も、できるだけ苦しみがなくなってほしいと。みんな病気してほしくないし、みんないろんないざこざで苦しんでほしくないし、いろんな悩みも持ってほしくないと。みんな現世的な意味でも幸せのまま修行を進め、解脱してほしいと。
 ――もちろんこれは願いですよ。実際には個々のカルマによるから。でも願いとしては、そういう願いを持たなきゃいけない。

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