解説「菩薩の生き方」第二十三回(8)

はい。で、これは最後、まとめね。
「このように、修行者も、修行していない普通の人も」――つまりわれわれもっていうことです。われわれも何度も何度も生まれ変わり、ある生では修行してたでしょう。ある生では修行してなかった。われわれはだから今言ったように、何回も何回も、心がすべてっていうことがわからずに、目の前のいろんなものを追い求めて生まれ変わり続けてきたと。でもわれわれは過去世において多分修行者だったときもあったでしょう。修行者だったときも、この心のポイントをよくわかってなくて、外れた修行ばっかりやってて、なかなか成就できずに生まれ変わってきたと。でも今、今生われわれは、またこうして修行に出合い、それだけじゃなくてこの素晴らしい、『入菩提行論』、あるいは心の訓練の教えに出合い、やっと――やっとっていうか、もちろん過去世でも教わったかもしれないけども、今生はやっとポイントを教えてもらったと。「結局心だよ」と。「ここだよ」と。「それだけが大事なんだよ」と。「あ、そうだったんだ」と。やっとわれわれはそこに気付けたと。よって、「今こそわれわれは自己の心を守らなければいけません」と。
はい、「自己の心を守る」っていうのは、わかると思うけど、もちろんエゴを守るという意味ではないと。つまりエゴ――もう、当たり前ですよね。エゴを守ってたらそれは逆のベクトルになるから。じゃなくて、この章のテーマである『念正智』――つまり心を守るとは、自己の心を真理から一瞬も外さないようにするということです。あるいは、透明で覚醒した心の状態を常に保ち続けるということですと。
言い方を換えるならば、皆さんの――もちろん修行は、みんな修行の途上だからね。修行の途上だけども、皆さんの今のレベルにおけるマックス状態です。皆さんいろいろ変わるでしょ。あるときは非常に修行者っぽく、聖者っぽく、あるいはもう慈悲に満ちあふれ、で、「神!」とか「グル!」とかそれしかないと。あるときはそうじゃなくて食べ物や異性やその他いろんな執着で頭がいっぱいで、あるいは人への不満や愚痴や嫌悪でいっぱいであると。当然皆さんこれを行ったり来たりしてるよね。上がったり下がったりしてると。で、はい、人間だから上がったり下がったりしますよねと。あるときは悪い心、あるときはいい状態――しょうがないですよね!――そんなことを言ってるから駄目なんだと(笑)。しょうがないじゃないんだと。何を聞いてるんだと。で、しょうがないじゃなくて、それをマックスに保ち続けるっていう修行が最高の修行なんだということだね。マックスに保ち続けることによって当然さらに上に上がってくるきっかけができてくる。だから努力して自分のマックス状態を常に保ち続けると。
つまり、もう一回具体的に言うと、自分の最高の、自分が過去――過去でもいいし現在でもいいんだけど、過去っていうか今の自分の能力っていうか状態、カルマで、最も慈愛が出てる状態。ね(笑)。あるいは過去のことを振り返ってもいいよ。「ああ、あのときわたしすごい慈愛が出て、みんなのことがほんとにすごい愛おしく思えたんだ」と。その状態をキープする。ね。あるいは聖者っぽい意識もそうだけども、理想に完全に心が合って、ものすごくその心が澄んでる状態ね、澄んでる状態を思い出すと。あるいは神のことで頭がいっぱいな状態を思い出すと。で、それを努力してその状態をキープし続けると。キープされてなかったら、少なくとも能力的には自分はそこまで行けるはずだから、頑張ってそこを思い出すように、あるいはそれを継続させられるように努力すると。これが最も大事なんだと。
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