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解説「菩薩の生き方」第九回(1)

2013年9月29日

解説「菩薩の生き方」第九回

【本文】

 すべての衆生は、基本的に、苦しみから逃れたいと願い、幸福を得たいと思っています。それは異論の余地がないところでしょう。
 しかし多くの衆生は無智なるがゆえに、望みと行いが転倒しているのです。「これによって苦悩から逃れられる」と勘違いして、より苦悩が増えるようなことを行い、「これによって幸福になれる」と勘違いして、より幸福から遠ざかることばかりやっているのです。
 そして菩薩は彼ら衆生に対して、本質的な幸福を与え、苦しみから真に解放し、そしてそもそも衆生の持つ苦しみの根本原因である無智さえも取り除くのだといいます。

 はい。この本文の最初の文っていうのは、非常に美しい文章ですね。つまり、

「苦しみから逃れようと願いながら、(衆生はかえって)苦しみに突進する。楽を得ることを望みながら、惑いのために、まるで敵がなすように、自己の安楽を破る。」

 はい。だからこれが衆生っていうか、この輪廻に生きる魂の無智なところなんだね。ここに書いてあるように、誰でも苦しみは嫌だし、幸福を得たいと思ってる。もちろんね、自分の考える幸福とか苦しみの定義は別ですよ。定義っていうのは概念から来る無智であって、魂は本質的に当然喜びや幸福を求め、そして苦しみを避けたいと思うと。これは、なんていうか、絶対のっていうか、誰にでも通じる法則です。しかし、今言ったように、苦しみとはなんなのか、あるいは喜びとはなんなのか、あるいはどうすれば幸福になるのか、どうすれば不幸になるのかっていう理解がね、あるいは智慧が、欠落してるんだね。だから非常にバカなことをやってると。「苦しみたくない」と言いながらどんどん自分を苦しめる方向に向かい、あるいは「幸福になりたい」と言いながらどんどん幸福から遠ざかる方向に向かうと。これが衆生の無智なところだっていうところですね。
 はい。そして、

「菩薩は彼ら衆生に対して、本質的な幸福を与え、苦しみから真に解放し、そしてそもそも衆生の持つ苦しみの根本原因である無智さえも取り除く。」

 はい。菩薩っていうのはまあ、ある意味おせっかいであると。つまり人が、今言ったように「苦しみたくない」と言いながら苦しみに突進してるのが見ていられないと。ね。そして菩薩っていうのはもちろん智慧があるので、その本人たちが勘違いしてる方向性ではなくて、あなたの本当の幸福はこっちですよと、あるいはあなたの本当の苦悩を滅する道はこっちですよと、教える作業に入るわけですね。
 はい。そして、そのような対象的な、つまり今みんなが苦しんでる苦しみから脱却させてあげるだけではなくて、そもそも衆生が目を誤り、自分から苦しみに突っ込むような原因になってる無智さえも、菩薩っていうのは取り除いてくれるんだ、っていうのがこの一文ですね。

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