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解説「菩薩の生き方」第三十一回(3)

 はい。そして最後が、苦しめてくれる者。これも分かりますよね? われわれは、ここの解説に書いてあるのを見ると、「苦しめてくれる人がいるおかげで、自分は悪業を浄化し、忍耐力を強め、真理への心を確固たるものにし、また慈悲の心を強め、慢心を弱めることができる」と。
 この苦しめてくれる者に対する対処は、このあとの方の忍辱のね、教えのところでもちろんいっぱい出てきますけども。ここで挙げられてる項目だけちょっと見ていくと、「自分を苦しめてくれる人がいるおかげで、悪業を浄化することができる。」
 これはいつも言っていることですね。つまりわれわれは過去に悪業を積んでると。で、これもいつも言ってるけども、もしですよ、皆さんは――皆さんっていうかみんなそうなんだけど、悪業をいっぱい積んでいます。うん。つまり表面的に「ああ、この人いい人ですね」と言われる人でも、実際には過去、あるいは過去世において膨大な悪業を積んでいます。で、それが、なんというかな、バーッて返ってきたら、これは大変なことです。うん。それはまあ、ものすごい苦しみ、というよりもそれはもう地獄に落ちるかもしれない。ただ実際は、カルマっていうのはそんなに簡単に返ってこない。変な話。いろいろ条件が整って返ってくるからね。でもそれはそれでまた恐ろしいことなんだね。恐ろしいっていうのは、つまり分かると思うけど、返ってこないっていうのは別に、チャラになっているっていうことではなくて、たまってるってことですから。うん。実際は早く返った方がいいんだね。
 いつも言うけど、苦しみっていうか悪業は早く返った方がいい。久しぶりに言うけど、昔わたしが書いたり言ったりしてた醤油理論っていうやつだね。ちゃんと教学している人はこの醤油理論は分かってると思うけど。T君、聞いたことある? 醤油理論。

(T)あります。

 
(一同笑)

 
 ありますか(笑)。教学してるね(笑)。醤油理論ね。もう一回簡潔に言うと、これはわたしの実体験から言う理論なんだけど(笑)。実体験っていうのは、わたし、今もそうだけど、昔から結構いろいろこぼしたりする。ね。で、例えば醤油を絨毯にこぼすと。うん。これはわたしの経験から皆さんに教えますが(笑)、早く拭いた方がいいです(笑)。当たり前だよね(笑)。早く拭けば結構きれいに取れます。当たり前ですけどね。物理的に、醤油の成分がまだあまりこびりついていない。で、ちょっとなまけて、「まあいいか。あとでちょっと拭くか」とか思っていると、何十分か経つともう、すごく取りづらくなる。で、なんとかやれば取れると。でも一日とか二日置くと、もうガビガビに固まっちゃって、なかなか取れない。でも洗剤で取れるかもしれない。それも一週間とか経っちゃうと、もう完全に固まって、固形化して、もう絨毯の毛と一体化して(笑)、もう削り取るしかないと。うん。つまりそれは時間を置けば置くほど、もうこびりついちゃう。
 これはカルマも同じで。つまり変な話、カルマっていうのは、公式上は一対一対応に見えるんだけど――一対一対応というのは、やった分と同じだけ返る。これがカルマですよね。でも実際はそうじゃないんです。すぐ返ればそうなんだけど、実際は、これ、簡潔に言うけども――悪業を積んだことによって、悪業の要素が心にたまりました。たまっているときに、われわれはいろんなこと――その悪業がたまるっていうことは、心が影響を受けます。つまり悪い心になります。悪い心によっていろんなことを考えたりとかすることによって、どんどん心が腐っていって、それによって悪業が増大するんだね、心の中で。で、その一つの悪業も増大するし、そうしているうちにまた次のカルマを積んでしまう。悪いことをしたことによって悪いカルマを積み、心が悪くなり、で、また悪業積んじゃったと。で、これを繰り返すと。で、これによってどんどんどんどん増大していくだね。
 そうじゃなくて、一個悪業積んじゃった。――例えばここに心がきれいな人がいたとしましょう。心がきれいでカルマもきれい。この人が一個悪業を積んだ。これはまさに、きれいな絨毯に一滴醤油を落としたようなものです。まだ間に合うと。ね。早く返ってこいと。でね、これは仮の話だけど、本当にここにものすごくカルマがきれいで心もきれいな人がいたら、本当に早く返ってくるんです。サットヴァだから。ものすごく、ほとんど悪いカルマがないと。心も純粋であると。でもなんらかの条件によって、つい、人をばかにしてしまったと。ちょっと人を批判するような悪口をバーッと言っちゃったと。そうするとその人はまず、心にすごい傷ができます。慣れている人はできないでしょ? 慣れている人は、人に悪口言ってても、全然自分はなんともないと(笑)。でも、心がきれいな人は一回でもそういうことを言っちゃうと、「うわー!」ってなる。「わたしはなんてことを言ってしまったんだ!」と。「相手を傷付けてしまったかもしれない!」ってなるわけだね。その力ですぐ返ってきます。なんか人が歩いてきて「馬鹿!」とか言われたりして。

(一同笑)

 
 で(笑)、はい、チャラと(笑)。これは最高ですね。でもなかなか普通はそうはいかない。そうじゃなくて――しかもわれわれは、心がけがれていると同時に、タマス、つまり隠したいという気持ちや、あるいは当然、そんな果報など受けたくないという気持ちがあるから、どんどんストックされていくんですね。で、これは非常に怖い。
 でも例えばここで怖いよと言われたって、カルマだから。カルマの流れっていうのはわれわれは意志で普通はコントロールできない。だから皆さん教えを学ぶと、ああ、わたしは過去でいっぱいカルマ積んできたと。そして過去世でも積んできたであろうと。これは怖いと。怖いというのは冗談じゃなくて、つまり積もり積もったら、繰り返すけど、チャラにならないからね。弁護士とかに言っても駄目ですからね(笑)。弁護士に言って、「チャラにしてくれますよ」「あなた払い過ぎてますよ」とかそんなのないからね。 

(一同笑)

 
 絶対受けなきゃいけない。これ、非常に怖い。で、その果てが地獄です。つまり、もう積もり積もっちゃったから。それ今生で返すの無理と。あるいは人間界で返すの無理と。人間界の苦しみには限界がある。だから人間の何倍もの苦しみを経験できる地獄で精算するしかないってなっちゃうんだね。それは非常に怖い。怖いから、できるだけ皆さんが生きているうちに返してもらった方がいい。
 なんで生きているうちに返してもらった方がいいかっていうと、特に皆さんの場合、教えに出合っているから。教えに出合っているからっていう意味は、教えに出合ってなかったら、つまりカルマ返ってきたら、さっきも言ったように、そこで、それに対して怒り、心を乱し、あるいは余計それに対して悪い感情を生起させ、終わらないんだね、カルマがね。これは普通の人のパターンです。普通の人は――もう一回言うよ――自分が過去に積んだカルマが返ってきた。それを「ああ、よかった」とは思わずに「くそー!」ってなって相手を攻撃したり、また新たなカルマを積んでしまう。この延々と繰り返しがなされるわけだね。でも皆さんは今生は教えを学んでるから、カルマをカルマとして認識して、耐えることができる。だから今生できるだけそのような状況のときに返してもらった方がいい。

 はい。で、今ちょっと丁寧に話してますけども、じゃあどうしたらカルマ返してもらえるんだと。変な話だけどね。それは二つあります。二つっていうのは、一つは懺悔です。懺悔ね。しっかりと、つまり日々瞑想して、グルや神、ブッダに対して懺悔をすると。あるいは皆さんが――もちろん懺悔をするっていうのは、一つは心を込めて「わたしは昔こういうことをしてしまいました」と。あるいは、「自分の心にこういうけがれがあります」と。こういうことを懺悔する、っていうのが一つね。で、もう一つは、定型的な、皆さんが与えられているような詞章であるとかね。懺悔系の詞章とかを唱える。あるいは懺悔系の瞑想をするでもいい。そういったことを繰り返していると、主の、グルや神の恩寵によって、前倒しで、たまっていたカルマが返ってきます。
 もう一つの方面としては、これは懺悔に限らず、皆さんが一生懸命修行を進めると。修行といってもただの行とかじゃなくて、ここでやってるような総合的なね、心の浄化、あるいはもちろんエネルギーの浄化、強化。あるいはもちろんバクティとか菩薩道とかも含めた総合的な修行をすると。そうすると、さっきも言ったように、皆さんのサットヴァのエネルギーが強まります。サットヴァっていうのは光のエネルギーであって。
 つまりサットヴァってさ、現象的には、いいとは限らない。分かると思うけど。明らかにするだけだから。うん。サットヴァ強まった、いいこと起きる、じゃなくて、サットヴァが強まったから悪いことが起きたっていうこともありうるわけだね(笑)。うん。修行をするとサットヴァになると。これによっても、停滞していたカルマがダーンと早く返ってくるようになります。
 はい。で、次にここが重要なんですけども、そのようにしっかり懺悔をしたり、あるいは懺悔をしないまでも帰依っていうのがすごくあると、これも何度か言ってるけど、この辺はまあ、なんていうかな、なぜそうなんだっていうのはちょっと置いておいて、結論だけ言うけども――主の、つまりグルや神やブッダの恩寵によって、早くカルマが返ると同時に、ミニマムに返ります。ミニマム。つまり、さっきちょと冗談みたいに言ったけど、実は存在するんです、弁護士。

(一同笑)

 これが神でありグルであり、ブッダであると。でもチャラにはしてくれません。そんな甘くはありません。そんな、なんていうか、甘やかしはしません(笑)。うん。「あなた懺悔して帰依もしてしてるから、過去の悪業チャラですよ」とはしない。うん。返しますよと。でもそれは、実はもし数字にするとしたら、相当低くなっています、内容がね。だからそういう意味でも、今生のうちに返しちゃった方がいい。これが分かっていると、その修行者は、苦しみを追い求め、喜ぶようになります。だって得だから。これも聖なる打算ってやつですね。聖なる打算。絶対得です(笑)。皆さん今生のうち、修行者のうちにいっぱい苦しんでた方が、絶対お得です。うん。来世修行者じゃないかもしれないから。そのときに来る苦しみはもう膨大ですよ。今生のうちに、ミニマムにやってもらっているうちに、できるだけ返してもらった方がいい――っていう発想がまず第一にあるんだね。
 はい。で、ここまでが大前提で。だから修行者の意識としてはできるだけ今生、カルマを落としたいと。

 はい。そしてこのリーラー、この世の遊戯の中で当然、じゃあ主の恩寵によりカルマを落としてもらって、それによってカルマを浄化したいと思ったときに、その、落とす役割が必要になってくるよね。役割人。落とす役者が必要になってきますよね。それがまさにここでいっている、苦しめてくれる人。だからそれはもう大変な恩人であって、大事にしなきゃいけない。
 いつも言うけど、例えば皆さんが天界的なカルマが強い場合ね、周りみんないい人と。みんな優しくて、人の気持ちが分かって。――ここにいたら、カルマ落ちません(笑)。幸せかもしれないけど落ちない。うん。だからそこには悪人が必要なんだね。悪人って言うと変な言い方だけど。
 で、それをさ、客観的に批判してもしょうがないよ。例えば、「あなた、なんでそんなひどいことばかりするんだ!」と。だってそりゃ、その人はそういうカルマがあるから。うん、でもそういう悪いカルマがある人が登場してくれたおかげで、逆に言うと登場してくれないと、わたしの悪業は落ちないと。登場してくれたおかげで、わたしの、つまり待っていた、落ちるのをずーっと待っていた、悪業がやっと落ちると。
 だから、いつもこういう話で冗談みたいに言っているけどさ、まさにもう、涙を流して、手を握らんばかりですよ。「よく来てくださいました!」と(笑)。ずーっと優しい人ばかりでいたところになんか変な人がやって来て、「おまえ!」とかひどいことを言ってきたら、涙を流して駆け寄って(笑)。「よく来てくれました!」と。「みんないい人たちばっかりだったんです」と(笑)。「あなたのような人を待ってたんです。あなたのような人がいないとわたしのカルマ落ちない」と。うん。「主の恩寵によってあなたがやって来てくれた」と。そのように考える。
 つまりそのようなベースの考えがあると、まず日常生活で、いろんなことで、信じられないような苦しみを与えてくれた人がいたとしてもね、そういう気持ちになれる。
 はい。これが第一ですね。つまりカルマを落としてくれると。
 
 はい。ほかのものも同じようなようなものですけども――忍耐力を強めてくれる。これはこのままですね。つまり忍辱。修行においては忍辱の実践というのは必要であると。でもシャーンティデーヴァが言っているように、われわれの心ってすぐに甘い方に向きやすいんですね。シャーンティデーヴァが言うには、つまり心、われわれのエゴっていうのは、甘やかせば甘やかすほどどんどん弱くなってくると。うん。つまり子供をさ、まあ子供の場合はもちろん一般的には子供の性格にもよるけどね。ちょっと一つの一般論として、かわいくてかわいくて甘やかして甘やかして、ってやってたらどんどん弱くなるかもしれない。これは親の本意じゃないですよね。「こんな子に育てた覚えはない!」「いや、君が育てたんでしょ」と。こうなっちゃうよね。自分の心も同じで、自分の心のことを思うんだったら、心を甘やかしてはいけない。
 あるいはシャーンティデーヴァの『入菩提行論』の言い方でいうと、暑さ寒さ、あるいは虻や蚊といった害虫――つまりそのようなさまざまな、ある意味で日常的な、そんなに大きくない苦しみがいろいろ人生にあると。で、それをなぜ忍耐の訓練の機会として利用しないんだと。なんで無用のものとして無視するのか、みたいな話がある。
 つまりわれわれはすぐに楽な方に逃げたがる。うん。しかしそういったものは全部小さな、心の忍耐力を鍛える訓練だと思って、つまり主から与えられたそういう状況だと思って、そういうものに耐えていくと。で、それがもうちょっと大きくなっても同じで、ただその観点からいっても、誰か自分を苦しめてくれる人が現われたら、「あ、これは――つまり自分がほんとに修行達成するには強靭な意志の力、あるいは忍辱の力、忍耐が必要なんだ」と。で、「それを鍛えてくれるトレーナーとして彼が現われた」という考えね。これはこれで素晴らしい。

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