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解説「菩薩の生き方」第七回(1)

2013年8月31日

解説「菩薩の生き方」第七回

【勉強会前に『実写ドラマ・ラーマーヤナ』を鑑賞】

 はい。じゃあ、まず今見た「ラーマーヤナ」の話を少しだけすると、まあ今日の話は、内容的には教えに関わることはあんまりなかったけども、まあ有名な場面ですね。非常にドラマティックな場面。つまり海を渡るために海の神にお祈りをし、で、それを海の神が聞き入れないためにラーマがついに怒りを発して、海を干上がらせるための弓を放とうとするという場面だね。
 ドラマティックな場面なわけだけど、教えに関することを少し言うと、まずこの中でも出てたけども、ラーマはもちろんこの場面だけではなくて、いろんな場面で、まあ、よく言われるわけだけど、普通の人間のような仕草をすると。あるいは行動を取る。あるいはそのような感情を表わすというかな。まあ例えばシーターをさらわれたときに、普通に嘆いてオロオロするとかね――そういう場面がよくみられると。で、それはもちろん皆さんわかっていると思うけど、実際にはラーマというのは完全なる至高者であって、絶対者であって、すべてを超越しているわけだけど、一応はまあリーラーの中では人間のような行動やあるいは仕草、あるいは感情、あるいは言葉を発するわけですね。
 で、例えば今回の場面だと、言ってみれば海を渡らなきゃいけないんだけど、渡る方法がわからないと。そこで海にお祈りをすると。で、ラーヴァナもそれを知ってこう馬鹿にするわけだね。つまり、「まるでそれは乞食のようだ」と。つまり、自分の力で切り開くんではなくて、「どうかなんとかしてください」と海でお祈りをすると。で、そのお祈りを三日間、断食をしながらしたわけだけど、しかしそれでも聞き入れられないので、ついに怒りを発し、そして、海を殲滅しようとすると。これらは言ってみれば非常に人間的であると。つまり困難にオロオロして、懇願し、懇願が聞き入れられないので怒って(笑)、ぶちのめそうとすると。
 で、ラクシュマナは、なんていうかな、ある意味、もちろんラーマの完全性を知っている。うん。しかしラクシュマナは完全性を知り、かつ、言ってみれば過激派なんだね(笑)。

(一同笑)

 常にラクシュマナは過激派。最初もそうだったよね。つまりラーマが、まあ、いわゆるカイケーイーの策略に引っ掛かって、お父さんのダシャラタ王がラーマを追放するってなったときに、それを聞いたラクシュマナは怒り心頭に達し、「ダシャラタ王とその仲間たちをわたしが殺してくる!」って言って――つまり彼としてはラーマのみが絶対なる正義であって、それに対してちょっとでも間違ったことをしたり刃向かったり、あるいは道を邪魔したりする者は、もちろんそれは滅ぼして当然であるっていう(笑)、発想があるんだね。
 で、今回ももともとラクシュマナとしては、お祈りなんかする必要はないと。つまりラーマの力によって海を滅ぼしましょう、みたいな感じだったわけだけど。しかしまあラーマは、まるで人間のように困り、そして祈り、そして最後は怒るという姿勢を見せるわけですね。で、これは、もちろんそれを知ったラーヴァナたちも、まあ、それを見てあざ笑うと。で、シーターもそれを聞いて、ちょっとオロオロするわけですね。もちろんシーターも、実際には大宇宙の女神の化身なわけだから、実際にはすべてを支配する力を持つ、というよりは、この宇宙そのものがシーターであると。ね。――そういう大秘密の中にいるわけだけど、しかしシーターもここではまあ、オロオロした人間のような仕草を見せるわけですね。つまり自分の愛する夫の、言ってみれば評判を気にしていると。評判を気にしているっていうのは、わたしの夫がオロオロして海を渡れなくて、で、お祈りして、で、それをみんなに馬鹿にされていると。ラーヴァナたちがあざ笑っていると。ほかの人たちもあざ笑っているんじゃないかという感じでオロオロしているわけですね。この辺はだから非常に人間的な心配っていうか。
 で、面白いのは、あの女悪魔のおばさんがいつも、真理の言葉を語ってくれる(笑)。あそこでも「シーター、心配するな」と。ね(笑)。「ラーマがやることはすべて、一見普通の人間の仕草のように見えるが、ラーマがなすことはすべて理想となる」と。うん。で、これがとても、言ってみれば答えというか真理なんだね。この真理っていうのは、しかし実際はなかなか理解されにくい。

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