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解説「ラーマクリシュナの生涯」第一回(1)

2020年7月29日

解説「ラーマクリシュナの生涯」第一回(1)

 はい。今日は新しいテーマで『ラーマクリシュナの生涯』ね。これは基になってるのは、サーラダーナンダが書いた『ラーマクリシュナの生涯』ね。これは日本語版もヴェーダーンタ協会から出てますけども、まあ、この中でもしかすると読んだことある人いるかもしんないけど、読んだことがある人はかなりマニアックな人ですね(笑)。かなり、まず非常に分厚い。分厚いのが二冊あって、まあなんていうかな、ちょっとこう……もちろん生涯の物語なんだけど、ちょっと研究書的な感じもあって、なかなかとっつきにくいと思うね。わたしも最初昔、これを見て「おお、すごい本だな」と思ったわけだけど、読んでみたらすごく感動的で素晴らしいと。まあしかしね、なんていうかな、ちょっと学術的な部分もあるので、まあちょっといらない部分もあるなっていうのを感じたのと、もうちょっと分かりやすくまとめられるかなと思って。で、それでちょっとわたしなりにね、全体を分かりやすくまとめ直したのがこのシリーズですね。
 はい。で、これを書いたのが、今言ったように、ラーマクリシュナの直弟子の一人であるスワミ・サーラダーナンダ。シャラトですね。シャラトという弟子で、のちにサーラダーナンダとなりましたと。ラーマクリシュナの死後、皆さんご存知のように、ヴィヴェーカーナンダはアメリカに渡り、まあ大成功を収め、世界宗教会議において最も優れた人物とまで言われ、大成功したと。で、その後帰ってきて、インドにラーマクリシュナ僧院、およびラーマクリシュナ・ミッションをつくり、そしてほかの兄弟弟子たちも西洋に渡ったりして、まあだんだん救済活動が進んでいったわけだね。
 はい。で、ラーマクリシュナの死後、ラーマクリシュナの奥さんであるホーリーマザー、サーラダーデーヴィーは、もともとラーマクリシュナの遺言っていうか、ラーマクリシュナが彼女に生前に指示していたこととして、ラーマクリシュナが亡くなったら、ラーマクリシュナの故郷であるカマルクプルに行きなさいと、まあ言われてたんだね。で、サーラダーはそれを守ってカマルクプルに住んでたんだけど、まあそれも一つの、なんていうかな、リーラーっていうか、必要な時期だったのかもしれないけど――カマルクプルはまあ非常に田舎で、良くも悪くも田舎独特の雰囲気がある。で、サーラダーはそこで非常に苦しんだわけだね。人間関係的にも非常に苦しみ、いろんな誤解を受け、まあ非常に苦しんだと。で、かつ経済的にも苦しんでいた。というのは、もともとはカーリー寺院、つまりラーマクリシュナが神職を務めていたカーリー寺院から――偉大な大聖者ラーマクリシュナの奥さんですから、ラーマクリシュナが亡くなったあとも、年金っていうか、生活費みたいのがずっとサーラダーには払われる予定になってたんだけど、でもそのカーリー寺院の役職の人が、なんか勝手に、「いやあ、彼女は偉大なラーマクリシュナの奥さんだから、おそらくラーマクリシュナの弟子たちが彼女の面倒をみるんだろう」って言って、勝手にお金の支給を断ち切っちゃったっていうんだね(笑)。でもそれをラーマクリシュナの弟子たちは知らなかったから、そういうふうに寺院からちゃんとお金が出て面倒見てもらってるんだろうって、ラーマクリシュナの弟子たちは思ってた。で、サーラダーも謙虚だから、あと忍耐の人ともいわれるから、そういう全くお金が入ってこない状態にあっても、誰にも助けを求めなかったと。で、それで、まあ結構長い間、ほとんどお金がない状態で、かつ人間関係的にも苦しめられ、まあ非常に苦しい時期を送ったらしいんだね。まああと病気にもなったりして、非常に苦難の時期を送るわけだけど。しかも今言ったように、サーラダーは決してそれを誰かに言ったり、あるいは助けを求めたりしなかった。
 でもしばらくして、それがついにカルカッタのラーマクリシュナの弟子たちの耳に入るときがきたんです。それで、まあ弟子たちは非常に驚き、もう唖然として、「え? あの偉大なホーリーマザーが、そんな状況に置かれてたのか」と。「われわれは知らずに、彼女を全く助けることができなかった」と。大変驚き後悔して、彼女をカルカッタに呼んで、まあみんなで面倒をみるようになるわけだね。そのあとはもちろんラーマクリシュナの弟子たちが、まあ特に在家の弟子たちが、経済的援助をしたりいろいろしたわけだけど。特にあの『ラーマクリシュナの福音』を書いたMね、マヘンドラナート・グプタは、経済的に彼女を助け――マヘンドラナート・グプタは晩年は三つの学校の校長を掛け持ちしていたらしいんだけど、その掛け持ちした三つの学校の、一つの学校の給料は全額ラーマクリシュナ・ミッションとかへの布施に使い、で、もう一つの学校の給料全額ホーリーマザーへの援助に使ってたらしいんだね。で、残りのもう一つの学校の給料だけで自分の家族とかの生活費に充てていたと。
 はい。で、ちょっと話を戻すと、ラーマクリシュナの直弟子の一人であるサーラダーナンダは、ぜひホーリーマザーのために、まあホーリーマザーはいろいろな場所を行ったり来たりしてたので、カルカッタにおけるホーリーマザーの立派な家をつくりたいと思ったんですね。そこでサーラダーナンダは、まあ彼自身は出家者だから世俗から離れてるんだけども、でもホーリーマザーのために個人で、つまり教団でじゃなくて、個人で多額の借金をしたっていうんですね。借金をして、まあ大きな家をつくった。ホーリーマザーを呼ぶためにね。それ今カルカッタにありますけど、わたしも何回か行きましたけど。マザーズハウスといって。
 そういえば、わたし初めてそのマザーズハウスに行ったときって、ドッキネッショルから、まあ買い物か両替か何かするためにカルカッタの町の方に行こうと思ってタクシーに乗ってたら、そのタクシーの運転手が、なんかラーマクリシュナの信者っていうか好きな人だったみたいで、走りながら「ここがバララーム・ボースの家だ」とか(笑)、いろいろ教えてくれてて、ずーっと走ってたら、なんか変な路地みたいなところに入っていって、なんかインドだからさ、「あ、なんか変なところに連れてかれるかな?」って(笑)、

(一同笑)

 そう思ってたら、連れていってくれたのがマザーズハウスだった。「ここはホーリーマザーのハウスだ」と言って。
 まあ皆さんも行ったことある人いるかもしれないけど、マザーが住んでた家ね。まあ結構きれいな家ですけど。それを、このサーラダーナンダが個人で多額の借金をしてつくったらしいんですね。で、そこにホーリーマザーに来てもらって、その後は、多くの時期をホーリーマザーはそこに住んで過ごしたと。で、サーラダーナンダ自身も、その家のある部屋に住み、で、まあマザーのお世話をすると同時に、当時ラーマクリシュナ・ミッションが出していた月刊誌の編集とかをしてたらしいですね。
 はい。で、ちょっとここで、まあ話がつながるんですけども、サーラダーナンダがこの『ラーマクリシュナの生涯』を書いたのは、もちろん、そのような生涯の物語をみんなに広めたいっていう気持ちもあっただろうけど、第一の目的はこの借金返済のためだったらしいんだね。うん。つまりマザーのためにすごい借金しちゃったと。だからちょっと本でも書いて(笑)。

(一同笑)

 うん。でもこれ面白いですよね。つまり、もう一回言うとさ、サーラダーナンダとしては、もう後先考えず――つまり出家者だからさ、仕事なんてしてないからお金のあてなんてないんだけど、マザーのためにと思って多額の借金をしたと。うん。で、それをなんとかしなければならないって思いで『ラーマクリシュナの生涯』を書いたと。つまりもともとはマザーへの――つまりね、師ラーマクリシュナの妻であり、母なる女神の化身とされたホーリーマザーへの純粋な奉仕の心で多額の借金作っちゃって。でもそれで結果的にこの素晴らしいラーマクリシュナの生涯の物語が、まあ誕生したっていうかな。
 はい。で、この『ラーマクリシュナの生涯』は――まあもう一つの、皆さんご存知の有名な『ラーマクリシュナの福音』がありますけども、あれは皆さんご存知のように、マヘンドラナート・グプタ――Mが、まあいわゆる日記ですね。つまり日々の自分の、まあいってみれば経験、体験談だね。日々実際にラーマクリシュナのもとに通い、そして見聞きしたラーマクリシュナのさまざまな言動を、彼の驚異的な記憶力によって思い起こし――まあもともとつけていた日記があったわけですけど、その日記をもとにしてさらに記憶を思い返して、そのなんていうかな、細かい描写をしましたと。で、それはもちろんラーマクリシュナのほかの弟子たちがまだ生きてるころからどんどん出されていって、で、まあヴィヴェーカーナンダをはじめとする兄弟弟子や、あるいはホーリーマザーたちが、「これは素晴らしい」と言って賞賛したっていうから、まあ実際にリアルにラーマクリシュナとの日々を克明に綴ったものだったんでしょうね。で、それに対してこの『ラーマクリシュナの生涯』は、そのような体験談というよりは、このサーラダーナンダが、まあもともと聞いていたいろんな情報に加えて、さらにいろんな調査をして、さまざまな人にインタビューしたりしていろいろ調査をしてまとめていって――つまりちょっと学術的っていうかドキュメンタリー的っていうか、ジャーナリスト的というか、そういう感じがするね。まあそれはつまり自分の経験っていうよりは客観的にいろいろ調べてまとめたものみたいな感じですね。だからその意味でも――もちろんそれを書いてるのはラーマクリシュナ自身の直弟子ですから、これはこれで非常に価値のある――まあ『ラーマクリシュナの福音』に比べると有名ではないけども、非常に価値のある作品といえますね。

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