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解説「ミラレーパの十万歌」第二回(10)

◎善悪の真理

 聴く者たちの心の中で、ミラレーパへの信仰がさらに深まり、彼らは大いなる敬意を表し、礼拝し、ミラレーパの周りを何度も回りました。
 こうしてほとんどの者はそれぞれのすみかに帰りましたが、リーダーのバロと少数の従者たちは、まだ去ろうとしませんでした。彼らは再び脅そうとして、恐ろしいヴィジョンを作り出しました。しかしミラレーパは、善悪の真理について説かれたこの歌によって対抗しました。

 慈悲深いマルパの御足に礼拝いたします。

 お前たち、凶暴な悪魔たちは、まだ怒りの感情を抱いているのか?
 お前たちの身体は軽々と空を飛ぶことができるが、
 心は、罪深い習気に満ちている。
 お前たちの恐ろしい牙は、他の者たちを恐怖させるが、
 他を苦しめることは、自己を苦しめるだけだと知りなさい。

 カルマの法則は、止まることがない。
 誰もその成熟から逃れられない。
 お前たちは、自己を苦しめているだけである。
 混乱した、罪深い餓鬼たちよ!
 私はただ悲しみと哀れみを感じる。

 お前たちは、常に悪行をなしているため
 邪悪が本性となっている。
 殺生のカルマに縛られて、
 肉や血をくらっている。
 他者の命を奪うが故に
 お前たちは餓鬼として生まれている。

 悪行は、低い道の深みへと至らせる。
 友よ、このカルマの罠を避け、
 すべての期待と恐怖を超えた
 真の幸福を得るように、努力しなさい。

 はい。この辺は基本的な教えですが、われわれ自身の心に戒めると同時に、われわれが周りに見る、いわゆるところの悪人たちに対しても、このような慈悲を持たなきゃいけないんだね。
 つまりわれわれはさ、ちょっと阿修羅的な人とかっていうのは、悪いことやっている人を批判したがる。でもその悪いことやってる人が一番傷つけてるのは、結局自分自身なんだと。だから逆に、なんていうかな、悪人っていうのはかわいそうなんだね。「悪人によって自分が被害を受けるから嫌だ」とか、「悪人が周りに被害を与えてるから、あいつは悪いんだ」とか、そういう考えじゃなくて、「あの悪人はなんてかわいそうなんだ」と。「あんなに自分を傷つけてる」と。「アホか」と(笑)。つまりもう完全に迷妄に陥って、いいと思ってやってるわけだけどね。いいと思って周りを傷つけ、実際には自分も傷つけてる。「なんて哀れなんだ」と、こういう気持ちを持たなきゃいけない。
 だから決して批判的な気持ちじゃなくて、慈悲を持たなきゃいけない。
 もちろん自分自身に対しても同じように考えなきゃいけないよ。つまり自分が何か悪を犯しそうになったとき、それは自分自身を傷つけるんだと。例えば人に対してなんか厳しい言葉を言いそうになったとき、「あ、これは相手も傷つくかもしれないが、それ以上に自分のカルマをほんとに悪くする行為だ」と。そのような基本的なね、認識がなきゃ駄目ですね。

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