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自己の明け渡し(2)

 現状では、我々は自分の力に過剰な信頼を持っています。
 そして、それが残っている間は、エゴはその王座に居座り続け、神は、私たち自身がそれを追い払うまで、待たれているのです。
 現在、私たちは、神を部分的にしか信頼していません。
 私たちは、自分自身で、たくさんの良いことをなせると考えているのです。
 私たちは、“神よ、この手紙を書いてください”と頼むかもしれませんが、年がら年中、彼よりも少し自分の方が上手く書けると思い込んでいます。
 ゆえに私たちは、それを完全に彼にゆだねることはしないのです。
 しかし、私たちがすべてを彼に差し出したとき、私たちは、どれほど彼が私たちに尽くしてくださっているのかを知ることになるでしょう。
 なぜならば、彼(主)は、”本当のことを言うと、私はそのような信者たちの召使いになるのだ”とおっしゃっているからです。

 それでは、個々の努力の場は存在するのでしょうか?
 個人的な努力は、自己の明け渡しを引き出します。
 自己の明け渡しが生じるまでは、私たちは、努力を続けなければなりません。

 私の師である聖ラーマクリシュナは、

「人は、風が吹くまでは扇で扇ぎ続けなくてはいけない。しかし風が吹き始めたら、扇は不要となる」

とおっしゃっていました。

 ゆえに人は、自己の明け渡しが生じるまでは、努力を続けなくてはいけません。
 アルジュナも、バガヴァッド・ギーターの中で同じ質問をしています。

「もし明け渡しが活動より優れているなら、なぜあなたは、私の師や祖父や仲間を殺害するような、このような恐ろしい行為を強いるのですか?」

 聖クリシュナは答えました。

「あなたは、行為が無価値であることを学ぶために、行為をしなくてはなりません。
 私が仮にそれをあなたに伝えても、あなたはそれを信じないでしょう。
 ゆえにあなたは、あなた自身で、それを見出さなければならないのです。」

 私たちは、これを理解して初めて、奉仕をするのです。
 私たちが、あらゆるものが個人的な努力よって得られると考えている間は、行為をしなくてはなりません。

 聖ラーマクリシュナのもとへ通ってきていたマニ・マリックは、あるとき、”何年間もシャンデリアのビジネスを成功させるために努力をしたが、その努力はすべて失敗に終わった”ということを私たちに話してくれたことがありました。
 そして、最後に必死にあがいた翌日、破産に打ちのめされていた彼は座り込み、こう言って泣き始めたそうです。

「主よ、もし汝が私を破滅させるおつもりでしたら、そうなさってください。
 私は、自分ができるすべてのことをしました。
 今、私は、すべてを汝に譲り渡します。
 すべてのことを、私を使って、汝のご意思で成してください。」

 そして、その後、彼の仕事は新しい展開を迎え、彼はビジネスの成功者となったのでした。

 人は、すべてを神に明け渡さなくてはなりません。
 そうしてのみ、繁栄があります。

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