覚醒の太陽(13)
(b)自他転換
次に、自と他を転換するという菩提心の瞑想を説明する。
※このパートは、「菩薩の生き方」より大幅に引用させていただきます。
入菩提行論にはこのように説かれている。
「自己と他者とを速やかに救おうと願う者は、自他の転換という最高の秘密を実践せよ。」
ここまでは、「自他の平等視」という教えがさまざまな角度から説かれてきました。それは、大乗仏教のみならず、仏教やヒンドゥー教の多くの箇所で説かれる、慈悲の基本となる、すばらしい教えですね。
しかしここから、さらにそれを上回る教えが登場します。それが「最高の秘密」と表現される、「自他の転換」という教えであり、自分と他者を速やかに救おうと願う者は、この教えを実践しなければならないというのです。
その教えの具体的本体はもう少し後で出て来ますが、ここから、その「自他の転換」の教えにつながるさまざまな教えが展開されていきます。
そしてこれら「自他の転換」の教えこそが、シャーンティデーヴァ、入菩提行論の持つ最大の特長であり、オリジナリティであり、そしてそれは後の仏教にも大きな影響を与えた、非常に深遠で価値のある教えであると思います。
簡単にいえば、「自他の平等視」とは、文字通り、自分と他者を同じように見るということですね。自分を愛するように、他者も愛しなさい、ということです。
しかし「自他の転換」とは、平等ではなく、他者を自己のようにみなし、自己を他者のようにみなしなさい、ということです。
さあ、それでは、その「最高の秘密」である「自他の転換」の教えの世界に入っていきましょう。
「自我を過度に愛著するがために、わずかの危険すら恐怖を生じさせる。恐怖をもたらすこと敵のごとき自我を、誰が憎まないか。
それは、病、飢え、渇き等を対治しようと願って、鳥、魚、獣を殺し、また路上要撃者となり、所得と尊敬を得るために父母すらも殺し、三宝の財を盗んで、無間地獄の火を燃え上がらせるものである。
かような自我を、いかなる賢者があこがれ、守り、あがめるであろうか。また誰がそれを敵と見ないであろうか。またそれを尊ぶであろうか。 」
これは非常に智的な分析ですね。
自我に強く愛著しているので、ほんのわずかなことにも、我々は恐怖を感じます。
我々に恐怖を感じさせる最大の要因は、外的な敵ではなく、この自我そのものなのです。
もし常に自分に恐怖を与える因となるものを「敵」と呼ぶとするならば、我々にとっての最大の敵は、「自我意識」ということになるのです。
そして自我が「敵」であることの理由が、さらに二番目の詩で語られています。
自我を守ろうと願うゆえに、我々は殺生をしたり、強盗をしたり、またあるときには自我(エゴ)によって、父母を殺すこともあれば、仏陀や聖者にささげられた供物を盗むことさえもあるでしょう。自我のゆえに、大いなる悪業を積み、我々は地獄に落とされるのです。つまり我々に悪業を積まさせ、我々を地獄に突き落とす、これ以上ない最悪の敵--それこそが、ほかでもないこの「自我意識(エゴ)」なのです。
そのような自我(エゴ)を、賢者は大事にしません。そして敵と見るのです。
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