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要約・ラーマクリシュナの生涯(7)「青年期に入る」

7 青年期に入る

◎ラムクマルの妻の死

 ゴダドルが12歳になった頃、次兄のラメシュワルは22歳、妹のサルヴァマンガラーは9歳になった。この当時の適齢期であったため、サルヴァマンガラーはカマルプクルに近いゴウルハティ村のラムショドエという男と婚約し、またラメシュワルはラムショドエの妹と婚約した。
 ちょうどその頃、長兄のラムクマルの妻が妊娠した。彼女はもう若くないのに長い間子供ができていなかったので、皆は喜んだが、同時に心配した。というのは以前、神秘的な予知能力に長けていたラムクマルが、もし彼女が妊娠したら死ぬであろうと予言していたからである。
 そしてこの直後、ラムクマルは職を失った。そして健康を害して、今までのように活発に活動することができなくなった。ラメシュワルは学はあったが金を稼ぐのはうまくなかったので、一家の収入は激減した。ラムクマルは様々に対策を立てたが、ことごとく失敗した。まるで何かの見えない力が働いているかのようだった。
 また、ラムクマルの妻の振るまいが、妊娠後に全く変わってしまった。この家では守り神であるラグヴィールへの礼拝がすむまでは食事をしてはいけないという決まりがあったが、彼女はそれを無視した。また、その他にもつまらぬことで家族と争った。
 このようにして、平安だった一家は、一転して絶えることのない不調和の中に落とされた。
 そしてついにラムクマルの妻は、美しい男の子を産み落とすとともに、ラムクマルの予言通りにこの世を去り、悲しみの帳がこの貧しい一家を襲った。

◎世間に対する洞察

 その後も不幸は続き、一家はどんどん貧しくなっていった。何とか毎日食べられるだけの米を収穫することはできたが、衣服その他の日用品を買うことが次第に難しくなっていった。母親を失った赤子のためのミルクを買う金も、借金して集めなければならなかった。ラムクマルの借金は日ごとにかさんでいき、彼は他の土地に行って金を稼ぐことを考えた。
 こうしてラムクマルは、家の仕事をラメシュワルに任せ、自らはカルカッタ市内のジャマプクルというところに出て、サンスクリット語の学校を開き、数名の少年たちを教え始めた。

 ラメシュワルは学識はあったが、それは少しも収入の足しにはならなかった。それどころか彼は遍歴僧や宗教家たちに会うと必ず長時間話し込み、彼らが欲しがる者を片っ端から気前よく与えた。それゆえ、以前より少しは多く稼ぐようにはなったが、家計を最低限支えるだけで、借金を返すまでには至らなかった。

 長兄ラムクマルがカルカッタに出稼ぎに行ったのは、ゴダドルが13歳の時だった。ラメシュワルは楽天家で、ゴダドルのことも放任していたので、今やゴダドルは誰にも監督されることなく、いつでも行きたいところに自由に出かけていくようになった。

 鋭い洞察力に恵まれていたゴダドルが、人々が学校で学んだり、学問で人より優れることの目的は「金を儲けること」であると見抜くのに時間はかからなかった。また彼は、世間の楽しみの追求に力を注ぐ者は、決して神を悟ることはできない、ということにも気づいていた。
 またゴダドルは、様々な村人の欲望と不幸を観察することで、「金と享楽への願望は、人生の大きな不幸の根本原因である」という結論に達した。
 そして彼は、神への愛を得ることを人生最高の目的と見なし、父のように、最低の物質生活、粗衣粗食に満足した。彼はラグヴィールを礼拝し、母の家事を助けて、一日の大半を過ごすようになった。

◎カルカッタへ

 村の女性たちは、家の仕事が片付くとよくチャンドラデーヴィーを訪ね、そこにゴダドルを見つけると、歌を歌ったり、宗教的な物語を読んで聞かせるように頼むのだった。ゴダドルはできる限りその頼みに応じた。ゴダドルが家事をしているときには、彼女たちがその仕事を自分たちで引き受けて、ゴダドルの歌や朗読を聞くのだった。これはほぼ毎日の日課のようになった。彼女たちはそれを非常に楽しみにし、少しでも長く歌や物語を聞けるように、それぞれの仕事を早く片付けて、チャンドラデーヴィーの家にやってくるのだった。

 ゴダドルはまた、歌や聖典朗読だけではなく、様々な方法で彼女たちを楽しませた。当時この村には、三つの歌い手たちの団体があった。一つはバーウル(ヴィシュヌ派の吟遊詩人のグループ)であり、他の二つはカヴィ(宗教上・社会上の問題に、歌によって即座に問答するグループ)であった。また村人の多くがヴィシュヌ派の信者だったので、彼らの家では毎晩、『バーガヴァタ・プラーナ』の物語を読んだり、主の賛歌を歌ったりする習慣があった。ゴダドルは生来の記憶力によって、幼い頃から耳にしていたこれらの音楽作品や芝居の内容や賛歌をよく覚えていた。ゴダドルはやってくる村の女性たちのために、あるときは芝居を始め、またあるときはバーウルやカヴィの歌を歌い、またあるときは主の賛歌を歌った。芝居をおこなうときは彼は、役柄に合うように声を変えて、一人で何役もこなした。また、もし母親や他の女性たちがふさぎ込んでいるのを見ると、芝居の中の喜劇を演じて見せたり、あるいは村の誰もが知っている人物の独特の動作や身振りを巧みに真似て見せたりして、一同を笑い転げさせるのだった。
 村の女性たちの中で年輩の者たちは、ゴダドルをゴーパーラ(幼年時のクリシュナ)と見なし、自分の子供よりも彼を愛した。また若い女性たちはゴダドルをクリシュナの顕現と見なし、自分たちの霊的恋人として、また友として見なしていた。

 ときにはゴダドルは、女性たちに頼まれて、女装して、クリシュナの恋人ラーダーや、その親友ヴリンダーの役を演じた。そのようなときにはゴダドルは、身振りも声も、本当の女性そっくりになるのだった。イタズラ好きのゴダドルは、よく女装のままで水瓶を抱え、村人たちの前を歩いたりしたが、誰もそれがゴダドルの女装であると気づく者はいなかった。

 ゴダドルの年齢が17歳に近づいた頃、ラムクマルの努力によって彼のカルカッタの学校は生徒の数が増え、家の収入は前よりも増えた。
 ラムクマルは、ゴダドルが学業に全く無関心なのを見て心配し、母やラメシュワルとの相談の結果、ゴダドルをカルカッタに連れて行くことにした。学校の生徒が増えたため、ゴダドルに仕事を手伝わせ、同時に他の生徒と一緒にゴダドルにも勉強をさせようと考えたのである。このことがゴダドルに告げられたとき、それが兄を助けることになると考え、ゴダドルは少しも反対しなかった。
 そこで吉日を選んでラグヴィールを礼拝し、母の足の塵を払って、ラムクマルとゴダドルはカルカッタに向かって出発した。
 こうしてカマルプクルの喜びの市は終わりを告げた。ゴダドルに深い愛と帰依を持っていた村の女たちは、ゴダドルと共に過ごした日々の甘美な記憶と、彼の将来の幸福を願う思いとに支えられて、彼のいない日々を何とか過ごしていったのだった。

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