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要約・ラーマクリシュナの生涯(32)「ラーマクリシュナとナレンドラの神聖な関係」①

32 ラーマクリシュナとナレンドラの神聖な関係

 ラーマクリシュナはナレンドラを初めて見たときから「偉大な魂」「神の化身」と大絶賛し、熱烈な愛を注いだ。ナレンドラは師の言うことを否定したが、徐々に師のもとで聖者として成長していき、ついにはヴィヴェーカーナンダとして欧米を席巻し、インド人たちの希望の星となるまでになった。

 ラーマクリシュナの他の信者たちも当然、師がそこまで絶賛するナレンドラに対して一目置くようになった。しかし実際のナレンドラは、ありきたりのおとなしい聖人のような印象を与える人物ではなかったようだ。

 ラーマクリシュナの出家弟子のひとりであるシャラト(のちのサーラダーナンダ)は、ナレンドラがラーマクリシュナが愛する並外れた弟子であると知る前に、偶然、ナレンドラに出会っている。そのときにシャラトが受けたナレンドラの印象は、興味深いものだった。

 そのときシャラトは、ある昔の友人が不謹慎なやり方で金儲けをし、堕落した生活を送っているという噂を聞いて、その真相を確かめるために、ある日、他の友人たちと一緒に、彼の家を訪ねたのだった。
 召使が取り次いでくれる間、シャラトたちが居間で待っていると、そこへ見知らぬ若者が入って来て、ためらうことなく長椅子に寄りかかると、クリシュナの歌を歌い始めた。この若者が、この家の向かいに住んでいたナレンドラであった。彼はシャラトたちに気付いているにも関わらず、挨拶もせず、その存在を全く無視して、物思いにふけりつつ、歌を歌い続けていた。その傲慢な態度やのんきな様子を見て、シャラトたちは好感が持てなかった。このような男たちと付き合って、友人は堕落したのだ、とさえ思った。

 しばらくして、友人が居間に入ってきた。しばらくぶりに会うにもかかわらず、彼はシャラトたちとは二言三言言葉を交わしただけで、すぐにその傲慢な態度の青年(ナレンドラ)と、様々な話題を楽しそうに語り始めた。

 シャラトたちは昔の友人のこのような態度を快く思わなかったが、すぐに帰るのも礼儀に反すると思い、しばらくそこで二人の会話に耳を傾けていた。
 二人は文学について激論を交わしていた。シャラトの友人が「感情表現はすべて文学とみなされるべきだ」と主張するのに対し、もう一人の若者(ナレンドラ)は、「高い理想を掲げ、優雅に描かれたものでない限り、一流文学とはいえない」と主張した。そして彼は最終的に次のような結論を述べた。

「人は肯定的および否定的感情を経験するが、ある特定の理想を心中に抱こうと常に努力するものだ。人間の個人差は、その特定の理想をどれほど完全に実現し、表現しているかによる。普通の人は、感覚対象の喜びが永続する実在のものと思って、こうした快楽の実現を人生の目的とすることで満足するのだ。すなわち『見せかけの実在を理想とする』のだ。こうした人は動物と大して変わらない。このたぐいの作家には、一流の文学は生み出せない。
 しかし、一見実在のように見える楽しみを喜ぶことに満足できない人々がいる。自分に掲げた最高の理想という鋳型の中に、すべての出来事を流し込もうと奮闘する人々だ。『真の理想を実現しようとする』のだ。彼らだけに本当の文学が生み出せるのだ。
 中には、人生においてまさに最高の理想を実現しようと欲する人もいる。こういう人はたいてい世俗の生活を放棄せねばならない。私は、ドッキネッショルのシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサが、最高の理想を完全に体現しておられるのを見た。それゆえあの方を尊敬しているのだ。」

 このような言葉を聞いて、シャラトたちは心を動かされたが、青年の傲慢に見える態度、そして堕落した友人と親しくしている様子を見て、おそらく彼は言行不一致の人物なのだと結論付け、失望してその場を去った。

 そしてその数か月後、シャラトたちは師ラーマクリシュナから、ナレンドラという素晴らしい青年がいることを聞き、会いに行った。そして師が絶賛する青年が例の傲慢な態度の若者だったことを知り、驚きに言葉を失ったのだった。

 普通の人々から見ると、ナレンドラの振る舞いは、傲慢、尊大、不作法に見えた。しかしラーマクリシュナは違った。ナレンドラの見かけの傲慢さ、尊大さが、生まれながらの驚異的な精神力から生じる類を見ない自信によることを、初対面から見抜いていた。大胆でとらわれのない態度は自然な自己制御のあかしであり、他者からの評価への無関心は、清らかな人格と生来の『足るを知る』精神から生まれたものだった。やがてナレンドラの生涯が苦悶に満ちた世界と出会うとき、その傲慢さや尊大さは溶けて無限の慈悲となり、独特の自信は無視の奉仕の力となることを、ラーマクリシュナは見抜いていたのだった。

 ラーマクリシュナは、自分の弟子となったばかりのこの若者に対して、公然と桁外れの絶賛をし続けた。

 たとえばあるとき、ケシャブ・チャンドラ・センやヴィジャイ・クリシュナ・ゴースワミーなどのブラーフモー・サマージの高名な指導者たちがラーマクリシュナを囲んで座っていた。ナレンドラもそこにいた。会合が終わり、ケシャブとヴィジャイが帰ると、ラーマクリシュナはこう言った。

「ケシャブは一の力で世界に名を為したが、ナレンドラには18の力がある。
 ケシャブとヴィジャイの中にろうそくの炎のように燃える神聖な光を見たが、ナレンドラには無智と幻惑の最後の痕跡を追いやる燦然たる太陽の輝きを見た。」

 これを聞いたナレンドラは、ラーマクリシュナに激しく抗議した。

「師よ、なぜそのようなことをおっしゃるのですか? 人に聞かれたら、気が狂ったと思われますよ。ケシャブは世界に名をはせているのです。ヴィジャイは聖者です。私は一介の学生です。どうして一緒にすることなどできるのですか? どうかお願いですから、二度とそんなふうにおっしゃらないでください!」

 これを聞くと、ラーマクリシュナは喜んでこう答えた。

「だが私にどうしろというのだね、我が子よ。こんなことを私が勝手に言うと思うかね? お前について真理をお示しになったのは、マーなのだよ。それだから、お前に話さねばならなかったのだ。マーが私に嘘をつかれたことは一度もないのだからね。」

 しかしこのような答えで、いつでもナレンドラを納得させられたわけではなかった。あるときナレンドラはこう反論した。

「どうしてマーがお話しになったとわかるのですか? 全部あなたの想像かもしれないではありませんか。私だったら、そんなヴィジョンは単なる空想だと思うでしょう。西洋の科学と哲学は、感覚がしばしば我々を欺くこと、そして心が特殊な何かを見たがっていると、騙される確率がずっと高くなることを証明しています。あなたは私を気に入って、私が偉大になることを常に願っておられる。それだから、そんなヴィジョンをごらんになるのです。」

 ラーマクリシュナは日々、様々なムードに入っていた。高い領域に心が没入しているときのラーマクリシュナは、このようなナレンドラの言葉に反応することはなかったが、子供のような意識状態にあるときのラーマクリシュナは、このような言葉を聞くと、まさに子供のように動揺し、母なる神に答えを求めた。すると母なる神は、ラーマクリシュナにこう言った。

「どうしてナレンドラの言うことを聞くのですか? あの子は間もなく真理を受け入れるでしょう。」

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