要約・ラーマクリシュナの生涯(26)「バーヴァムカにあるラーマクリシュナ」②
◎牝牛を殺したブラーフマナの話
ギリシュのように完全なかたちで師に『代理人の権限を与える』ということは、実際は非常に難しい。単に修行を怠けたいがために、『私は師に代理人の権限を与えたのだから、何もしなくてもよいのだ』などと言ってはいけない。
もし本当に師に「代理人の権限」を与えることができたならば、たとえ何があろうとも、あなたは心の奥底で絶えず師の慈悲を思わずにはいられない。あなたは、輪廻という岸辺のない海に落ちてなすすべもなく遙かな時間もがいていた自分を、師が今、恩寵をもってお救いくださったのだと感じ、深い感謝と愛と心からの信を師に向けるであろう。
このような状態にあるならば、「絶えず神を思え」「絶えず神の御名を思い出せ」などという教えは必要なくなる。師への感謝と愛に満たされて、あなたの心は自然に師で満たされるからである。
しかしもしあなたが「代理人の権限」を師に与えたと考えた後にもそのような喜びを感じないとしたら、それはあなたのエゴは実際には「代理人の権限」を師に与えていないのだと知らなければならない。
実際にはエゴにしがみつきながら、「代理人の権限を師に与えた」などと考えて自分と他者を欺いてはいけない。
これに関連して、ラーマクリシュナはよく、牝牛を殺したブラーフマナの話を弟子たちに話した。
あるブラーフマナが、非常に苦労して立派な庭園を造った。そこに様々な果樹や花の木を植え、それらの見事な生長ぶりを大いに楽しんでいた。
ある日、その庭園に一頭の牝牛が入り込み、草木を食べていた。それを見たブラーフマナは腹を立てて、棒で牝牛の急所に一撃を加えた。すると牝牛は死んでしまった。
ブラーフマナにとって、牝牛を殺すことは大罪であるため、そのブラーフマナは恐ろしくなった。しかし彼は、ヴェーダの中で、人間の感覚器官や行動器官はそれらを司る神々から力を受けて働いていると説かれているのを思い出した。たとえば「手はその動く力をインドラ神から受ける」などというように。
ブラーフマナはこれを思いだし、「では、牝牛を殺したのは私ではない。私の手はインドラ神の力によって動かされたのだから。よって、牝牛を殺したのはインドラ神である」と考えた。
これを知ったインドラ神は、人間の姿をとり、このブラーフマナの庭園にやってきた。彼はその庭園の美しさを褒め、ブラーフマナに言った。
「ちょっと伺いますが、これはどなたの庭園なのでしょうか? 草木をこんなに見事に配置なさったのは誰なのですか?」
ブラーフマナは喜びに我を忘れ、「これは私の庭です。この草木全部を植えたのは私です。さあ、どうぞ見てください」と言いつつ、自慢話をしながら彼を案内して回った。
するとそこでインドラ神は、牝牛の死骸が横たわっているのを見つけ、ビックリしたような様子を見せて、「誰がこの牝牛を殺したのですか?」と尋ねた。
今までこの庭の中のすべてのことを「私がした」「私がした」と言っていたブラーフマナは、何といっていいかわからなくなり、黙っていた。するとインドラ神は自分の本当の姿を現して言った。
「ああ、この偽善者め。お前は、善いことは全部お前がした、牛殺しだけ私がしたと言うのだな!」
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