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要約・ラーマクリシュナの生涯(21)「ラーマクリシュナの聖地巡礼と、フリドエのヴィジョン」④

◎再びカーシーにて

 ヴリンダーヴァンに約二週間滞在した後、一行はカーシーに戻った。そしてカーシーの主神であるヴィシュワナートが荘厳される特別な儀式を見るために、1868年の半ば頃までここに滞在することとなった。

 あるとき、ラーマクリシュナの指示によって、モトゥルは、人々に様々な布施をおこなった。また、現地のブラーフミンの学者たちとその家族を招いて供宴を開き、十分なもてなしをおこなった。
 しかしその供宴の初日、ブラーフミンの学者たちが口論を初め、そのうち叫び声まであげてもみ合いになった。これを見たラーマクリシュナは、大変な不快感を覚えた。カーシーのような聖地においてさえ、他の土地と同様に、人々が情欲と金銭に執着しているのを知って失望した。ラーマクリシュナは目に涙を溜めて、母なる神にこう言った。

「母よ、どうして私をここに連れてこられたのですか? ドッキネッショルにいたときの方がずっと幸せでした。」

 ラーマクリシュナはカーシーでさえも世俗的な人々にあふれているのを知って心を痛めたが、それでも彼は、素晴らしいヴィジョンを見て、この地の栄光を確信した。彼は、このシヴァの都であり「黄金のヴァーラーナシー」と呼ばれるカーシーが、本当に黄金でできており、普通の石や粘土で作られている物はどこにもないというヴィジョンを見た。真のヴァーラーナシーは光に満ちあふれており、一般の人々が見る外見は、その影に過ぎないのだということを知ったのだった。
 このヴィジョンを見てから、ラーマクリシュナは、大小便によってこの土地をけがしてしまうことを恐れ、カーシーで大小便をすることをためらった。そしてそれから数日間は彼は、用を足したくなると、モトゥルの用意した駕籠によって、カーシーから外れたアシ河という場所まで行き、そこで用を足した。やがてその特別なムードが治まると、その必要もなくなった。

 あるときモトゥルはラーマクリシュナを舟に乗せて、有名なマニカルカー・ガートにお連れした。このガートの近くには、有名な大きな火葬場がある。舟がマニカルカー・ガートに近づくと、その火葬場から発される煙で空が満たされていた。それを見るとラーマクリシュナは恍惚の表情となり、全身の毛は逆立った。そして舟の舳先まで歩いて行って、サマーディに入った。彼は不動の姿勢で、素晴らしいほほえみを浮かべてたたずんでいた。辺り一面がしずまって、神聖な気配が漂った。船頭たちは驚いて、この尋常ならざる人物を見つめた。しばらくしてラーマクリシュナの法悦状態が終わると、皆でマニカルカー・ガートに降りて沐浴した。

 その後、ラーマクリシュナは、このときに見たヴィジョンについて、モトゥルたちにこう言った。

「色白で黄褐色のもつれ髪をした背の高い人が、火葬用の薪を順番に巡り歩いていた。そして一人一人の魂を死体から注意深く引き上げては、その耳にブラフマンの特別な名前を唱えて、魂を解脱させているのを見たのだよ。薪の反対側に座っていた全能の聖母カーリーは、それぞれの魂が作ってきた粗大体、微細体、そして原因体における束縛の結び目を解いて、解脱の門を開き、魂を絶対者へと送り届けておられた。主ヴィシュワナートは、不二一元の体験という無限の至福を瞬時にお与えになっていた。この至福は長年の集中と苦行の後にしか得られないものなのだ。」

 これを聞いたパンディットたちは、こう言った。

「『カーシーカーンダ』には、ヴァーラーナシーで死んだ人にはシヴァがニルヴァーナを授けるとありますが、どのように為されるのかは明言されていません。それをあなたのヴィジョンがすっかり明らかにしてくれます。あなたのヴィジョンと体験は、聖典に記載されている内容をしのぐものです。」

 モトゥルはカーシーからガヤーにも行きたがったが、ラーマクリシュナが同意しなかったので、諦めざるを得なかった。既述のように、ラーマクリシュナの父がかつてガヤーを巡礼したとき、ガダーダル(ヴィシュヌ神)が彼の息子として生まれるとおっしゃる夢を見た。それがラーマクリシュナがガダーダル(ゴダドル)という幼名をつけられた由来だった。
 ラーマクリシュナはこの当時はすでに、かつてラーマ、クリシュナなどとして降誕されたお方が、今回はこの自分の肉体に宿っていることを確信していた。そしてその自分の出生にまつわるガヤーのガダーダルの蓮華の御足を見たら、自分がガダーダルそのものであることを完全に思い出してしまい、ガダーダルと永遠に一つになってしまい、この肉体を去らなければならなくなるだろうと考えていたのだった。

 後に、チャイタニヤが晩年を過ごした聖地プリーへの巡礼の話が出たときにも、ラーマクリシュナは同様の考えからそれに反対した。また、たとえばある信者が特定の神の一部であることがわかると、やはり同じ配慮から、その信者がその神にまつわる聖地に行くことを止めた。ラカール(ブラフマーナンダ)がヴリンダーヴァンに行ったと聞いたときも、クリシュナの友であるラカールが、ヴリンダーヴァンで自分の本当の正体を思い出し、肉体を去ってしまわないかと心配した。

 ともかくこのときもラーマクリシュナはそのような理由でガヤー行きを拒んだために、一行は1868年の半ばにドッキネッショルに帰ったのだった。

 ラーマクリシュナは、ヴリンダーヴァンとラーダークンダ及びシャーマクンダから土や塵を持ち帰り、その少々をパンチャヴァティーの周囲にまき、残りを彼の『サーダナー・クティール(庵)』の中に埋めた。そして『この場所は今日からヴリンダーヴァンのような聖地になる』と言った。

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