要約・チャイタニヤ伝 第一章 グルへの崇敬と祈願
要約・チャイタニヤ伝
このもとの作品は、聖者チャイタニヤやクリシュナの真実を語っていると同時に、ベンガル・ヴァイシュナヴァ派の教理の細かい説明も多く含まれていますが、この要約版では、それら宗派的教理の説明的な部分はある程度カットさせていただき、チャイタニヤやクリシュナの真実にかかわる核心的な部分のみを、私の独断と偏見によりまとめさせていただいていますので、ご了承ください。
第一章 グルへの崇敬と祈願
もろもろの師、神の信者たち、神の化身たち、神が輝現した者たち、神の力が顕現した者たち、そして神そのものであるクリシュナ・チャイタニヤ師に敬意を表します。
不二一元論者がウパニシャッドで「不二なるブラフマン」と呼ぶものは、チャイタニヤ師の体の輝きにすぎません。
ヨーガ行者がそのスートラで真我と呼ぶものも、チャイタニヤ師のきらめきの一部にすぎません。
クリシュナ・チャイタニヤ師こそが、この世界の最高の真理なのです。
長期間にわたって人類に与えられることのなかった、バクティラサ(神への信愛の精髄、味わい)という財宝を、このカーリー・ユガに生きる人々に授けるために権化された、光り輝くクリシュナ・チャイタニヤ師が、絶えることなく衆生の心の奥に輝きますように。
ラーダーの本質は、クリシュナの愛の歓喜力そのものであり、
本質的には一つであるものが、かつてはクリシュナとラーダーという二つの異なる姿をとっていました。
しかしこのカーリー・ユガにおいては、そのクリシュナとラーダーが、
チャイタニヤという一人の姿をとって顕現されるのです。
このようにラーダーの情感および美しさをそなえておられるチャイタニヤ師に礼拝いたします。
ラーダーの愛の偉大さとはどのようなものか、その愛によって味わえる驚嘆すべき甘さとはどのようなものか、またその愛を味わいラーダーが感じられる幸せとはいかなるものかと考えて、ラーダーの情感を秘めつつ、チャイタニヤはこの世にあらわれる。
また、バララーマの化身であり、マーヤーの影響を受けず、あらゆるものに偏在し、サンカルシャナとして輝き満ちる、ニッタノンド師に帰依いたします。
世界の創造者であり、マーヤーによって宇宙をつくりあげたマハーヴィシュヌ
その化身にして神そのものであるアドヴァイタ・アーチャーリヤ
ハリと不可分であるからアドヴァイタと呼ばれ、
クリシュナへのバクティを教えるからアーチャーリヤと呼ばれる、
化身され信者の姿をとられたそのお方に帰依いたします。
びっこで無智な私の唯一の財産であり、慈悲深きラーダー様や愛の神さえ惑わしてしまわれるクリシュナ様に栄光あれ。
絢爛たる輝き放つヴリンダーヴァナの森に生い茂る、如意樹の下の宝石の家の中、宝石の獅子座に座り、愛する侍女にかしずかれるラーダー・クリシュナを念じます。
横笛の音色でゴーピーたちを魅了して、イチジクの樹の下に立っている、ラーサの踊りの主人公、あらゆる願いをかなえてくれるゴーヴィンダが、われわれに幸せを与えてくださいますように。
クリシュナ、師、信者、威力、権化、輝現、
これらの姿で、クリシュナは遊戯なされるのです。
クリシュナ・チャイタニヤ師は自在者。
その蓮華の御足に、数え切れないほどの礼拝を捧げます。
わたしのグルはチャイタニヤ師に仕える者でありましたが
それでも私は彼を、チャイタニヤ師の輝現と信じております。
グルはクリシュナそのものであり
クリシュナはグルとなって、信者への哀れみを示される。
信者は、その心にクリシュナが常に安らうがゆえに、神そのもの。
それら信者の方々には、天界などで常にクリシュナのそばにいる方々と、
この世において修行されている方々の、二種類があります。
神の権化には、
化身としての権化と、分質としての権化と、威力が乗り移った権化の三つがあります。
至高神のあらわれ方には、
輝現(プラカーシャ)と戯現(ヴィラーサ)の二つがあります。
クリシュナが一万六千人の乙女と結婚したときなどのように
全く同じ姿の多数の分身が現われるときは輝現といいます。
一方、さまざまな違った姿をとって現われるときには、それは戯現といいます。
神のシャクティには三種のものがあり、
まずは天のラクシュミーたち、
ドワーラカのお妃たち、
そしてヴラジャのゴーピーたちです。
かつてクリシュナとバララーマがヴラジャで遊戯をされたとき、
お二人の輝きは、数え切れないほどの月と太陽の輝きに勝るものでした。
そのお二方が、クリシュナ・チャイタニヤ師とニッタノンド師として輝きあらわれ、
この世界すべてが、喜びに満ちているのです。
太陽と月は、暗闇を取り除き、あらゆるものを明らかにするので、
あらゆる儀式が、日の出や月の出に始まります。
そのようにお二人は、魂の迷妄という暗闇を取り払い、
真理をお与え下さるのです。
迷妄という暗闇を別名「ごまかし」といいますが、
それは、現世の務め、富、愛欲、そしてニルヴァーナを求める気持ちなのです。
その中でも、ニルヴァーナを願う気持ちは、ごまかしの最たるもの。
というのもその願いの前では、クリシュナへのバクティは全く消えてしまうから。
クリシュナ・バクティを妨げる、さまざまな善悪の行ない、
それらもまた、迷妄という暗闇がもたらすもの。
お二方の恩寵で暗闇が取り払われ、
暗闇が消えることで、真理が明らかになるのです。
真理というのは、クリシュナそのものと、クリシュナへの純愛であり、
それらすべての本質は歓喜なのです。
太陽と月は、外界の暗闇を取り払い、
現象界にある物質の存在を明らかにしますが、
このお二人は、心の闇を取り除き、
至高神にかかわる二つのものを直接お見せくださるのです。
その一つは偉大な至高神の聖典であり、
もう一つは、バクティにふさわしい器である信者の方々です。
これらによって人のバクティラサが目覚めさせられ、
それが純愛に達すると、お二人は魅了されてしまいます。
このお二人の御足に礼拝を捧げます。
それによって障害が取り除かれて、望みが満たされるでしょう。
さて、この作品を耳にされれば、心の中の迷妄などの悪しきものは砕かれて、
クリシュナへの深い愛が生じ、深い満足が生じるでしょう。
チャイタニヤ師、ニッタノンド師、そしてオッドイト師の偉大さを語ります。
彼らの信者性、バクティ、名称、愛、そしてラサの真理を語ります。
これらを耳にされるなら、そのすべての真理の本質が理解できるでしょう。
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