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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(26)「功徳の守護」

◎功徳の守護

「自己の行為の果報を見、渇愛を滅することによって、清浄なるものを守護すべし。
 また、布施等の利他行などの功徳を積んだ後に、後悔してはいけない。
 もし自己のなした功徳の行為を喜ばず、後に心を翻したりすれば、彼の善性は悪性に変わる。」

 戒を守護する者は、国王を頼ることなく、善い世界を頼ることなく、富を頼ることなく、美しい容姿を頼ることなく、名誉を頼ることがない。

 また、戒を守護する者は、地獄に落ちる恐怖がなく、動物界や餓鬼界や魔界に落ちる恐怖がない。

 また、戒を守護する者は、真理と相応するが故に、一切の衆生を利益する。

 戒を守護する者は、転輪王となり、そこから減失することがない。

 戒を守護する者は、ブッダの覚醒を求め、心が乱れることがない。

 戒を守護する者は、もろもろのブッダを見ることを願い、そこに障害はない。

 戒を守護する者は、梵天王となり、そこから減失することがない。

 戒を守護する者は、素晴らしいダルマを聞き、そこから退いたり堕落することがない。
 
 戒を守護する者は、菩薩行を行ない、そこから減失することがない。

 このように戒を守護する偉大なる菩薩は、常に多くの衆生から恭敬される。
 神々、龍神、鬼神、ガンダッバ、龍王、阿修羅王、クシャトリヤ、ブラーフマナ、長者等は、彼を尊重し、供養し、恭敬し、讃嘆する。もろもろの智者すら、彼を讃える。

 このように戒を守る偉大なる菩薩は、無相・空なる境地に安住せず、また悪趣や邪見の家に生まれることもなく、ただ衆生を救済し続けるのである。

 以前に捨てた悪についても、未来において再び煩悩に襲われて犯してしまうことを恐れ、常に監視し、守護すべし。
 徳を積み、戒を守っても、その果報を願うことなく、その果報を衆生のために回向し、ただ利他行をなすべし。
 また、布施等の利他行などの功徳を積んだ後に、後悔してはいけない。それは自己にとって不利益であるばかりでなく、他の者も彼を見て、功徳を積むことをやめ、悪業が増大してしまう。
 このように、もし自己のなした功徳の行為を喜ばず、後に心を翻したりすれば、彼の善性は悪性に変わるのである。
 
 逆に、悪業を犯したとしても、心から懺悔をし、心を入れ替えるならば、その罪から脱却し、のちには福善を得ることとなる。

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