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自己の明け渡し(3)

 この人間の努力というのが何の役にも立たないということは、世間を見れば一目瞭然です。
 同様の努力は創造の始まりから続けられており、そしてそれは世界が存続する限り続けられます。
 その事実は1インチも変わることなく、続いているのです。
 なぜでしょうか?
 なぜならば、世界は、渇愛と貪欲を基に成り立っているからです。
 そして渇愛と貪欲は、エゴによって支えられています。
 よって、このすべての努力は、エゴから生じているのです。
 スワミ・ヴィヴェーカーナンダが語った以下のことは、まさにそれを表すにうってつけの言葉でしょう。

「行為が世界を救うことは絶対にない。それは、単にその人自身を救うのみである。」

 それではそれは、どのようにして彼を救うのでしょうか?
 それは、そのこと(個人的努力による行為)が全く役立たずのもので、神のみが唯一の仕事を成されている方であることを教わることによって、救われるのです。

 人は、彼自身を主の御足に投げ出し、

「ああ、主よ、このすべては汝のものです!
 この身体、心、魂はあなたに属しています。
 私は全く無力です。
 私は無価値です。
 どうぞ、私を連れて行ってください。」

と言うことができます。

 そうすると、すぐに主はこう言われます。

「よろしい。私はお前を連れていこう。
 お前の身体、心、そして魂は私のものだ。」

 そして主は、その者の両手を彼(主)の手とされ、その足を彼の足とされ、その舌を彼の舌とされます。
 主は、その者たちの口を通して食べ、その者たちの唇を通して話し、その者たちの心を通して考え、その者たちの手と足を通して活動します。
 そして、その者は生きた神になるのです。

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