yoga school kailas

パトゥル・リンポチェの生涯と教え(119)

◎ワンチュク・ドルジェの出家

 ワンチュク・ドルジェは、ツェワン・タクパとしても知られており、偉大なテルトンであるチョギュル・リンパの長男であった。彼は子供の頃にパトゥルと出会った。妹のコンチョク・パルドンと異母弟のツェワン・ノルブと同様に、彼はすぐにパトゥルの敬虔な弟子となった。

 ワンチョク・ドルジェは、若年齢で、心の本性をありのままに悟った。彼の知性は際だって優れており、その洞察力は人々を唖然とさせた。十六歳のときから、彼は素晴らしい悟りの歌と深淵なるダルマの注釈書を書いていた。さらに、ダーキニーの文字まで読むことができた。
 彼は背が高く、逞しく、振る舞いは気品高かった。髪型は非常に独特で、編んだ長い髪を頭に巻き付けていた。それは「人を魅了する冠」と言われていた。彼は一度も髪を切ったことがなく、その髪の毛一本一本にダーキニーが住んでいたのである。その髪は紺青色に輝き、洗っても決して髪がもつれることはなかった。

 ワンチュク・ドルジェは1880年に二十歳になると、パトゥルの野営地に行った。パトゥルの数多くの弟子たちは偉大な師となり、独立していた。パトゥルの野営地は、十方にダルマの獅子吼を轟かせる雪獅子の根城のようだと言われていた。
 ワンチュク・ドルジェは、テルトンである父のような煌びやかで仰々しい格好で、パトゥルの野営地に到着した。馬の背に乗り、四十人の馬乗りたちに付き添われ、所有しているヤクを連れて来たのだった。
 それは、所有物をわずかしかもたず、黒いヤクの毛の遊牧民テントで暮らす簡素なパトゥルと対比すると、ずいぶんと異なっていた。パトゥルは出家の誓いを守っていたので、配偶者もいなかった。
 パトゥルはよく、”山の子のようであり、衣の代わりに霞をまとっていた”、師ズルチュンパの生涯について熱く語った。
 ワンチュク・ドルジェは、パトゥルが、カギュー派の昔の修行者たちのシンプルな生き方を取り入れ、煩わしさや世俗的な先入観を放棄するという善徳を称賛しているということを耳にした。
 パトゥルはこう言った。

「善良なダルマの修行者になりたいと思うのならば、低い座に座り、古い平凡な衣をまといなさい。豪華な金襴を着飾って高い所に座り、そこから他者を見下ろしていることに価値があるなどということは、誰からも聞いたことがない。」

 その言葉に触発され、ワンチュク・ドルジェはこう言った。

「それは、わたしには問題ありません!」

 ワンチュク・ドルジェは何の躊躇もなく、自分のすべての所有物を捨てた。そして、取り巻きを解任し、馬をすべてチョギュル・リンパの僧院に送り返した。女たちを放棄し、装飾品を捨て、良質の絹の金襴の衣を捨て、安いフェルトと羊の皮でできたボロボロのコートを身にまとった。華麗な長い髪を切り、頭を剃り、見習い僧のゲツルの誓いを立てた。

 やがて、ワンチュク・ドルジェが変わってしまったという知らせが、ジャムヤン・キェンツェー・ワンポのもとに届いた。
 心を取り乱しながら、ジャムヤン・キェンツェー・ワンポはこう言った。

「あの気狂いの仕業だな! パトゥルめ!」

 そのときキェンツェー・ワンポは、小さな子供のように泣いたと言われている。

 一八八一年、七十四歳の時、パトゥルは”地獄の奥底を浚い上げる”と呼ばれる浄化の儀式を執り行ない始めた。一年半もの間、師ジグメ・ギャルワイ・ニュグの聖遺物が入っているストゥーパの前で修行し、それから十万回護摩供養を行なった。またこの時期パトゥルは、最も近しい弟子たちに、多くの高度な教えや指示を与えたのであった。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする