第二章 ブッディ・ヨーガ
至高者はこうお説きになった。
『これまで私はサーンキャ・ヨーガについて述べてきたが、今度はブッディ・ヨーガについて聞くがよい。
このブッディ・ヨーガを実践することにより、君は己のカルマから解放されることになるだろう。
このヨーガを実践すると、わずかの努力も実を結び、無駄や逆効果なども一切なく、
どんな危険や恐怖からも守られることとなる。
断固たる意志と智慧を持つ者は、一つの目的に向かって突き進むが、
優柔不断の者は、多くの枝葉の道に心を向けてしまう。
叡智の乏しい者たちは、経典について語りつつ、その中にある言葉をもてあそび、
これこそ明智の真髄だなどとたわごとを言う。
肉体の快楽や、天界に転生することや、権力や富を手に入れることなどを願い、さまざまな儀式などを行なう者たちもいる。
彼らの心の中には、真理を求めんとする決意も智慧も、まったく失われている。
得ることと失うこと、快と不快、称賛と非難などの二元対立を超え、利得や安全に心煩わすことなく、
常に真我にとどまる自己を確立せよ。
大海の前の小さな池のように、
宇宙の真理を悟った賢者にとっては、経典の知識などたいした価値はない。
君には定められた使命を行なう権利はあるが、その結果についてどうこうする権利はない。
君は何らかの結果を求めて行為してはならず、また何もせぬという怠惰に陥ってもならぬ。
神から与えられた自己の使命を、忠実に実行せよ。そして成功と失敗とに関するあらゆる執着を捨てよ。
このような心の平静さを【ヨーガ】というのだ。
果報を期待しつつ行なう行為は、果報を期待せずに行なう行為に比べ、はるかに劣る。
いかなる行為も、神への無欲の奉仕の心で行なうがよい。果報を期待して行なう者は、まことに哀れな存在である。
神にすべてをお任せし、果報を考えずに行為する人は、この世において善悪のカルマから解放されるだろう。
ゆえに、神に奉仕し、ヨーガに励むがよい。それこそが、あらゆる行為をする際の秘訣なのだ。
知性が真理と合一した賢者は、行為の結果を捨てることによって、
生と死の束縛から解放され、憂いなき境地に達するのである。
知性が迷妄の密林から抜け出たなら、
今まで聞かされてきたこととこれから聞くであろう事のすべてから超然として、惑わされることはない。
君の心が、聖典の言葉の観念にとらわれることなく、心の本性にしっかりと向けられたなら、
君は必ずや真我を悟り、至高の境地へと到達する。』
アルジュナは言った。
『サマーディの境地に入り、真の智慧を獲得した人は、どのような特長を持つのでしょうか?』
至高者はこうお説きになった。
『人が心の中の欲望をことごとく捨て去り、心の本性の輝きにのみ満足したとき、
その人は真の智者と呼ばれる。
苦難にあっても心乱さず、快楽を追うこともなく、執着と恐怖と怒りを心の中から完全に捨て去った人こそ、
真の智慧を獲得した聖者と呼ばれるのだ。
善悪、好き嫌いの感情を超えた人こそが、
智慧を得た人なのである。
眼・耳・鼻・舌・身のあらゆる対象から自分の感覚を完全に切り離すことのできる人こそ、
智慧に安住する人と言えるのだ。
禁欲することによって、確かに快楽の経験はなくなるであろうが、それを求める気持ちは依然として残るであろう。
しかし至高者を見ることで、その気持ちすら消えてしまうのだ。
人の感覚の欲求は抑えることが難しく、まことに強烈であって、
時には賢者の心をすら奪い去ってしまうことがある。
それゆえ、肉体のあらゆる感覚を制御し、意識を至高者である私に集中せよ。
こうして己の感覚を完全に制御できたとき、真理の智慧は不動のものとなる。
感覚の対象を見、また思うことで、人はそれに対する渇愛が芽生え、
またその渇愛によって欲望が起こり、欲望が遂げられないと怒りが生じてくる。
その怒りによって迷妄が生じ、迷妄によって念が混乱し、念の混乱によって知性が失われ、
知性が失われると、人はまたもや低い世界へと落ちてしまう。
しかし、対象を経験しながらも自己の感覚を制御し、対象に対する愛著も嫌悪もまったく持たず、自己の魂を完全に統御している人は、
至高者の恩寵たる絶対平安を得る。
この絶対平安の境地においては、すべての苦しみは消滅してしまう。
なぜなら、その安らかな境地に入るや否や、直ちに真の知性が確立されるからである。
自己を制御できぬ人には、知性も、深く考える力もなく、そうした人に平安の境地は望むべくもない。
平安の境地なくして、どうして真の幸福が得られようか。
感覚が対象を求めて揺れ動くと、心もそれにつられてさまよう。
ちょうど水の上の小船が、風に吹き流されてしまうように。
ゆえに、もろもろの感覚を抑制し、それぞれの対象から心を完全に離せる人の智慧は、
まことにしっかりと安定している。
あらゆる生き物にとっての夜に、賢者は目覚めている。
またあらゆる生き物が目覚めている昼は、賢者にとっては夜である。
無数の河川が流れ入ろうとも、海は泰然として不動であるように、
さまざまな欲望が次々に起ころうとも、それを追わずとりあわずにいる人は平安である。
物欲や愛欲をすべて放棄した人、もろもろの欲望から解放された人、自我意識や執着心のない人、
このような人だけが、真の平安を得るのだ。
これが絶対真理と合一する道であり、これによって一切の迷妄が消え去るのである。
たとえ臨終のときであってもこの心境になる人は、必ずやニルヴァーナの境地に入ることであろう。』
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