私
「私は」と、私は言う。
「私は」と、あなたも言う。
「私は」と、彼も言う。
あれ?
結局この世界には、「私」しかいないんじゃないか?
なんだ、あなたも「私」だったのか。
私も「私」なんだよ。
今は記憶とカルマという枷をはめられ、
バラバラな別のもののように思い込まされているが
あなたもあなたも、私なんだなあ。
そっちの私は、元気かい?
何か辛くないかい?
真理に巡り会っているかい?
充実しているかい?
私なのに私の心がわからないなんて、変だなあ。
概念やプライドが、私を分裂させたのか。
あなたの「私」は、あなたの記憶をよりどころとしているから、
私にはわからないんだよ。
私もまた、私の記憶をよりどころとしている。
この私の記憶が「私」ではないと気づいたら
私は少しは自由になるのだろうか。
そこには神の意思しかない空間に、溶け込んでいけるのだろうか。
私はちょっと分裂しすぎたようだ。
この宇宙は、ただ一人の神が見る、多くの登場人物が登場する夢。
そう、わたしは唯一なる神。
あなたもまた、そう。
それに気づくことだ。
・・・ならば、仏教でいう無我とは何なのか?
野暮なあなたは、こんな質問をするかもしれない。
そんなことは、わかりきっている。
唯一の「私」しかいないということは、
「私」はいないということなんだ。
「私」とは「あなた」がいて初めて成立する概念に過ぎないんだから。
そして「私」もないなら、「無我」もまたない。
その、概念では表せない「それ」に、
たどり着け。