神の恩寵と祝福は
「神の恩寵と祝福は、十分にあるのだ。しかし、自分の帆をあげてその恩寵の微風を受け止める人々は何人いるだろうか。何人が、頭を下げて神の祝福を受けるだろうか。
人々の心は、つまらない事柄で多忙だ。誰が真の宝を欲しているか。彼らはえらそうな口をきく。だが一向に努力をしない。あらゆるものを、努力をせずに得たがっている。
人々は、世俗の仕事ならあらゆることを何とかかんとかやっていく。ところが神を思いつづけるという件になると、『でもそんな時間がどこにありますか』などというのだ。
シュリ・ラーマクリシュナはよくおっしゃった。『グルは幾千人もいるが、弟子は稀だ』と。忠告をする人はたくさんいる。しかしそれに耳を傾ける人が何人いるか。人がもしグルの言葉を信じてそれに従うなら、彼の疑念と悩みとは全部消えるのだ。彼のグルの言葉を信じるなら、彼に必要なものは神がすべてお与えになるだろう。彼の手を取って、正しい道をお導きくださるだろう。
神の恩寵をいただいたら、そこに何の悩みがあろう。主の無限の叡智の宝庫から不断の供給が来るのだから。
内に神のへのあこがれの目覚めた者、彼は立って努力するがよい。座っていても、寝ていても、ものを食べているときでも、主の聖なる御足に向かって祈願するがよい、
『おお主よ、御慈悲をお与えください! 私に、あなたの恩寵を理解させてくださいませ!』と。
彼は慈悲深い。真剣に恩寵を求める者にはそれをお示しくださる。祈りによって、離欲や、神へのあこがれや、正しい理解などをお与え下さるのだ。だがおそらく、幾千人の中の一人だけが、神を求めるだろう。」
――ブラフマーナンダ
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