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クンサン・ラマの教え 第一部 第四章「カルマ:原因と結果の法則」(8)


 「ヴァジュラの智慧の完成」には、次のように説かれている。

 【智慧の完成】の修行をしている菩薩も、苦しみにさいなまれる。それは、来世において苦しみをもたらす過去のカルマが、現世において結実しているのである。

 逆に、悪しきことしかしていない人々が、今の時点では幸せを味わっていることもある。しかしそれは、過去の行ないが現在において結実しているだけである。
 かつてアパランタカという国で、次のようなことが起こったという。七日間、貴重な石が降り注ぎ、次の七日間は衣服が雨のように降り注ぎ、次の七日間は穀物が雨のように降り注いだ。しかし最後には土の雨が降り、皆つぶされて死に、地獄に生まれ変わった。
 善きことをなしている人が苦しみ、悪しきことをなしている人が栄えるという状況は、過去の行ないの結果が今現われているだけである。現在の行為の結果は未来に現われる。よって、今なしている行為の結果を必ず受けることになるということを強く確信することが重要である。常にこのことを踏まえて行動しなさい。
 最高のダルマの見解(空の見解)をその言葉通りに受け取ることで、原因と結果の法則を否定してはいけない。
 ウッディヤーナの偉大なる師(グル・リンポチェ)は、次のように説いた。

 王よ、わたしの説く秘密真言の教えにおいては、(空の)見解こそが最も重要である。
 しかし、日常生活で、見解を文字通りに受け取った行動を行なってはいけない。そうでないと、善も悪も空であるという見解は、世俗の論理の中にあっては、「マーラの悪しき見解」に陥ってしまう。
 しかし同時に、日常の論理に従って見解を理解したりもしないように。そうでないと、物質主義や概念にとらえられてしまい、悟りを得ることはできない。
 よって、このように言えるだろう。見解は空よりも高く、カルマの法則は小麦粉よりもきめが細かいのだ、と。
 

 よって、物事の本質に対してどれほど高い見解を得ていたとしても、自分の行ないとその結果には細心の注意を払わなければならない。
 ある人がパダンパ・サンギェーに聞いた。
「もし空を悟ったとしても、悪しき行ないをすれば悪しき結果を受けるのでしょうか?」
 パタンパ・サンギェーはこのように答えた。
「空を悟れば、自然に慈悲が生じるので、悪しきことをすることはなくなるだろう。」
 ゆえに、ダルマを真に修行したいのであれば、原因と結果の法則に従って行ないを選択することが重要である。見解と行ないは共に育まれなければならない。

 あるとき、ミラレーパの弟子がミラレーパに尋ねた。
「聖なる師よ、あなたのすべての行ないは、普通の人の理解を超えています。聖なる師よ、あなたはヴィディヤーダラや仏陀や菩薩の生まれ変わりで、生まれたときから聖なる存在だったに違いありません。」
 ミラレーパは答えた。
「わたしに対する信によって、わたしのことをヴィディヤーダラや仏陀や菩薩の生まれ変わりと考えるのはわかるが、ダルマの見解においては、それは誤解である。わたしは最初、呪文を使ったり雹を降らせたりして、きわめて悪しき行ないを積み重ねた。このままでは地獄に生まれ変わるしかないと気づいて、休むことなく熱心にダルマを修行した。秘密真言乗の優れた方法によって、素晴らしい悟りの特性を身につけた。ダルマを修行しようという確固たる決意を持てないのは、原因と結果の法則を心から信じていないからである。もしカルマの法則に対して本当に心から確信できれば、決意が生じ、誰でもわたしのような精神力を持つことができ、わたしと同じような悟りを得ることができるだろう。そして人々はその人のことを、ヴィディヤーダラや仏陀や菩薩の生まれ変わりだと思うだろう。」

 ジェツン・ミラレーパは、原因と結果の法則を強く信じていたので、若いころに犯した悪しき行ないによって、このままでは自分が地獄に生まれ変わるということを確信していた。そのように確信していたからこそ、大変強い決意を持ってダルマを修行した。その修行と努力の激しさは、インドにおいてもチベットにおいても他に類を見ないほどであった。
 よって、原因と結果の法則という重要な点について、心の底から確信できるようにならなければならない。どれほど小さな行ないであっても、できるだけ善いことを常に行ない、三つの優れた方法(菩提心を起こし、概念化することなく菩提心そのものを修行し、回向すること)を用いなさい。命に代えても、悪しきことをなさないと誓いなさい。
 朝起きたら、寝床に入ったまま、心をリラックスさせ、心をいろいろな角度からよく調べなさい。もし夢の中で悪しきことをしていたならば、懺悔しなさい。あるいは夢の中で善きことをしていたら、喜んで、その功徳をあらゆる衆生のために回向しなさい。
 そして菩提心を抱いて、「今日、できるだけ善き行ないをしよう。そして悪しきことをしないように全力を尽くそう。無数の衆生たちすべてが、完全な仏陀の境地に至れるように」と考えなさい。
 夜眠りにつくときには、すぐに意識を失ってはいけない。朝起きたときと同様に、リラックスする時間をとって、「今日、何か衆生のためになることをしただろうか? 何か善いことをしただろうか?」と、自分の行ないを振り返りなさい。善いことをしていたなら、それを喜び、すべての衆生が仏陀の境地に至れるように、その功徳を回向しなさい。もし悪いことをしていたなら、「なんてひどいことをしてしまったのだ!」と考えて懺悔し、同じことを決して繰り返さないと誓いなさい。
 常に、用心し警戒して、この宇宙のすべての衆生が、実体を持ち固有の存在であるという認識に執着しないようにしなさい。すべては実体のない幻のあらわれであると見なすことができるように修行しなさい。心を常に善良で正直に保つことで、心を正しい状態にすることが、本質的な目標である。それは、これまで説明してきたように、心を輪廻から切り離す四つの考えを修行することと同じである。このように、すべての善き行ないは自動的に三つの優れた方法に繋がっている。
 自分の心を正しく保てば、自己中心的な心を真のダルマに向けることができる。そうすれば、自分と他者のためになる大きな功徳が、際限なく増大していく。三悪趣に生まれ変わることはなく、常に神々や人間としての特別な生を受けるようになる。そのようなダルマを実践している者が住む地域にさえ功徳と幸運があり、常に神々によって守護されている。

 カルマの法則について知ってはいるが、信は弱い。
 ダルマを何度も聞いたが、実践したことはない。
 そんなわたしと、わたしのような悪しき者たちを守護したまえ。
 そして心がダルマと一つになりますように。

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