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真の満足

◎真の満足

【本文】
『風のないところにおいた灯火が、決して揺らぐことのないように、
 心を統一させたヨーギーの瞑想も、真我に安定して微動だにしない。

 ヨーガの実習によって心を完全に支配し得たとき、真の平安は得られ、
 自己の中に真我を見出すことができたとき、真の満足を味わうことができる。

 その境地にある人は、普通の感覚ではなく純粋で完全なる叡智によってそれを味わうこととなり、
 真理から決して離れることはない。

 これに勝るものはないというこの至高の境地に達すれば、
 たとえいかなる困難にあおうとも、ヨーギーの心は少しも動揺することがない。』

 はい。これはヨーガ修行の瞑想の達成の境地だね。
 まず『風のないところにおいた灯火が、決して揺らぐことのないように』。
 つまり最初は――これも結果を言っていることだけども、逆にわれわれが目指さなきゃいけないとこだね。瞑想においては一点集中が非常に必要です。これはだから何の瞑想でもそうだよ。例えばマントラ唱えてるんだったら、心がざわついてていろんなこと考えながらマントラ唱えるのも全く効果がないとはいえない。しかしわれわれが目指すべきところっていうのは、マントラを唱えているときは完全にマントラに没頭すると。で、マントラと一体化する。あるいは礼拝してるときはもう完全に礼拝に一体化する。
 で、瞑想で何かの瞑想してるんだったら完全にもう、例えば神の瞑想しながらこっちでは違うこと考えてて、心の中でいろんな独り言が始まっている。「でも神は瞑想してるんですよ」――こんなんじゃ駄目なんです。全神経を神だけに集中する。全神経をマントラだけに集中する。やってることに全てを――もうそれ以外何も私は認識できません、というぐらいに。
 これはお釈迦様の話でこういうのがあるよね。お釈迦様がある瞑想をしてたら、お釈迦様の前をね、凄い戦争の集団の、戦争するための馬車とか馬とかがバーッて通り過ぎた。で、それから雷が鳴ってバーッとお釈迦様の前に落ちた。で、しばらくして弟子達が行って、お釈迦様大丈夫でしたかと。そうしたらお釈迦様が瞑想から覚めて、「うん? 何かあったのか」と(笑)。つまりあまりにも自分の瞑想に集中してたから、雷の音とか馬車が走っているのに全く気づかなかった。そんだけ集中しなきゃいけないんだね。
 あるいはこういう話もあります。ミラレーパの、さっき言ったミラレーパのある高弟がいて、この人が最初に――まあこの人は凄く瞑想の素質がある人だったんだけど、この人がミラレーパのもとに最初弟子入りしたときに、ミラレーパは最初――弟子入りっていうかちょっと最初ミラレパの所に寄っただけだったんだけど、ミラレパは彼に、「じゃあお前はこういう瞑想をしなさい」って言って一個の瞑想を教えて、で、彼は「家に帰る前にちょっと洞窟のところで瞑想してみるか」っていって、ある洞窟で瞑想に入ったと。で、数日後、数日間経って彼のお父さんお母さんがミラレーパのところにやって来て、うちの息子見ませんでしたかと(笑)。あなたのところに数日前に行ったまま帰ってきてないんです、と。いや、彼はちょっと来たけどすぐ帰ったよと。で、捜索した結果、ある洞窟で瞑想している彼を見かけたわけだね。で、みんなで怒って、お前何で数日間も帰らないんだと。で、彼は、「え? 何言ってるんですか」と。「私はちょっと瞑想していただけですよ」と。で、パッと空を見たら――午後に瞑想を始めてたんだけど、空を見たら午前中の太陽だったと。で、混乱して、一体何が起こったんだと(笑)。
 つまり彼の集中力があまりに凄かったがために、三日間を瞬間に感じてたんだね。グーッとあまりに集中しすぎてて三日間経ってたんだけど、まだ数分しか経ってないと思ってた。だからそれだけの没頭っていうか、それだけの全神経をそれだけに向けた集中力が瞑想には必要なんだね。
 もちろん何度もいうけど、まだ未熟な段階でちょっと瞑想の真似事っぽいことをいろいろやるのはマイナスとはいわない。それはもちろんプラスです。でもそれで私は瞑想が終わったんだとか瞑想をかなりしてるんだっていうふうには思わない方がいいかもしれない。本当の瞑想っていうのはもうちょっと高いところにあるんです。
 つまり何度も言うけども、それだけに心が集中して他のものは一切目にも耳にも入らないような状態を作り上げなきゃいけないんだね、本当はね。
 はい。で、それを達成してそれが真我に安定したとき、それは全く微動だにしないというわけだね。そしてそれによって心を完全に支配し得たときは真の平安が得られますよと。そして自己の中に真我を見出すことができたとき、真の満足を味わうことができると。これはもう基本的なところだね。
 われわれは外的なものに満足を見出そうとするんだけど、さっきも言ったように外的なものって無常だから、決して満足することはありません。一つを得れば失いたくないと思うし、もっと得たいと思う。あるいは嫌なものを経験すればそれを避けたいと思う。だから外的なものってのは常に移り変わり、自分の心がそれに翻弄される限り、永遠の完全なる満足ってのはありえない。
 そうじゃなくて内側にもともとあるんだと。君が外側に求めているものとは比較にならないような完全なる平安が内側にあるんだよと。で、それを発見した者にとっては、全く壊れない平安、壊れない満足がやってくるってことだね。
 はい、『その境地にある人は、普通の感覚ではなく純粋で完全なる叡智によってそれを味わうこととなり、真理から決して離れることはない』と。この辺は結果を言ってますね。

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