yoga school kailas

焦燥感

 ある技に関する質問をしてきた弟子に、木村政彦(史上最強といわれた柔道家)はこう言った。

「同じことを何度も聞くな。俺が一度言ったことは100回言われたことだと思いなさい。そうすれば、一日を百日分に生かせるだろう。」
 

 この木村政彦は、現役時代は睡眠時間三時間で、その他のすべての時間を格闘技のトレーニングにあて、睡眠中もイメージトレーニングの時間としていたといいます。昔の武道家などの逸話にはこういう話が多いですね。現代では極端だと敬遠されそうな話ですが笑、やはり何をやるにもこのような真剣さ、徹底の心というのは重要だと思います。武道家たちは強くなりたいという一心だったわけですが、どの道でも同じことですね。

 もちろんヨーガや仏道の修行者も、たぐいまれな縁によって巡り合った、悟り、神の実現、菩薩道、神のしもべになることといった、唯一にして最高無比なる人生の目的を持っていると自負するならば、当然のごとく、武道家やスポーツ選手にも負けない、強烈な渇仰心、向上欲、焦燥感、そして実際の飽くなき努力が、もっともっと必要なのではないかと思います。

 人はグルの言葉を信じなければならない。グルはサチダーナンダ以外のなにものでもない。神ご自身がグルなのだ。もし、子供のようにその言葉を信じさえするなら、あなたは神を悟るだろう。
 偽善的な、打算的な、または理屈っぽい心では、神を悟ることはできない。人は信仰深く誠実でなければならない。偽善は駄目だ。神は誠実な人々のごく近くにおいでになる。だが偽善者からは遠く離れていらっしゃるのだ。
 人は神に対しては、子供心のようなあこがれを持たなければならない。子供は母親が見えないと、ただ狼狽するだけだ。たとえお菓子を持たせてなだめようとしても、彼は騙されない。『いや、お母さんの所に行く』と言うだけだ。人はこのように神を慕わなければならない。ああ、何というあこがれだ。母を求めての、何という焦りだ。何ものも、母を忘れさせることはできない。世間の楽しみが味気なく感ぜられる人、お金、名声、快適な生活、感覚の楽しみなど、この世の一切のものに喜びを感じない人は、母のお姿を求めて心底から悲しみにうちひしがれる。そしてこのような人のもとにだけ、母は他のすべての仕事を捨てて、走ってきてくださるのだ。
 ああ、この焦燥感がすべてだ。あなたがヒンドゥであろうと、イスラム教徒であろうと、クリスチャンであろうと、シャクティ派であろうと、ヴィシュヌ派であろうと、さてまたブラーフモーであろうと、どの道に進んでいようとそんなことはかまわない。大切なのは焦燥感だ。
 神は私たちの内なる案内者だ。たとえあなたが間違った道を歩いているとしても、そんなことはかまわない。ただ、彼を慕い求めて焦らなければならないのだ。彼がご自分で、あなたを正しい道に置いてくださるだろう。

 ――ラーマクリシュナ・パラマハンサ

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