yoga school kailas

水瓶の中でまじりあうもの

 インドを中心とした東洋の思想・文化と、西洋の思想・文化は、大きく根本から違うと思う。

 それは、東洋が【無我】あるいはエゴを弱め、捨てていく方向性を持つのに対し、西洋はエゴを増大させ、形作っていく方向性を持っているということだ。

 服を着ようとするのか、脱ごうとするのか。

 食べ物一つとっても、西洋の栄養主義に対し、東洋は少食や断食を勧める傾向が強い。しかし逆に食材の種類や料理の種類に関しては、アジアのそれは西洋の数百倍とも言われるのだが。これは【欲張らぬものは与えられる】ということだろうか(笑)。

 西洋が科学技術その他を用い、どんどんと身の回りを便利にし、モノをあふれさすことで幸福を得ようとしていた間に、インドその他の東洋の哲人たちは、身の回りのものどころか、最も大切な【自我】までも放棄することで、宇宙の真実をつかみ、真の幸福をつかもうとしてきた。

 現代では、東洋的なものにあこがれる西洋人、西洋的なものにあこがれる東洋人、といった人たちも多くなっているが、土台が違うのでなかなか難しいようだ。ヨーガなども、西洋風にアレンジされると、なんか違うような気がしてくる。また、ブランド物の【ヨガマット】などを肩にかけて街を歩くのがトレンディだ、などというテレビや雑誌の特集などを見ると、やっぱりなんか違うような気がしてくる(笑)。まあ、どんな形であれ、ヨーガが広まることは良いことだとは思うのだが。

 わたしは、【だから西洋的思想は悪い】などということを言おうとしているわけではもちろんない。
 現代は、インド占星術では、魚座から水瓶座への移行の時代といわれている。これは、分離から融合への移行の時代なのだ。
 だから今までのような不恰好な融合ではなく、真の意味で東洋と西洋の思想、価値観、技術、文化が融合できる時代がやってくるような気がする。

 そしてその旗頭となれる存在は、日本ではないのかと思うのだ。
 偉大なる大国、インドや中国ではダメだ。なぜなら彼らは今、猛烈に、西洋的な豊かさを求めているから。
 アジアの、東洋の叡智を根っこに持つ民族の中で、唯一、西洋的豊かさの限界を知り、それらを身に着けつつも再び東洋の叡智に帰ろうとしている人たち、そう、日本こそが、東西の真の融合を果たす使命を持っているのではないだろうか。
 
 そしてわたしはそこにおいて、【ヨーガ】が果たす役割は小さくないと感じるのである。

 ヨーガとは、様々な意味があるが、【合一】という意味も持つ。心と体の合一。神と人間の合一。アートマンとブラフマンの合一。そして今、東西の叡智を合一させる使命も、ヨーガは担っているのかもしれない。

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