母なる神(6-5)
◎マハーカーリー(偉大なる力の女神)
マハーカーリー(偉大なる力の女神)は、また別の性質を持っている。広やかさではなく高さこそが、叡智ではなく力と強さこそが、彼女に固有な力である。
彼女は自らの内に圧倒的な強靱さを蔵し、成就されるべき力への強大な情熱を秘め、あらゆる限界と一切の障害を怒濤のごとく粉砕してやまぬ、神の聖なる暴力を隠し持っている。
彼女の神格はすべて、栄光の嵐のように激しい行為を通してほとばしる。彼女はそこにあって、迅速さを目指し、速効的プロセスを求め、素速く直接の一撃を目指し、眼前に立ちはだかる一切を一蹴してのける正面攻撃を求める。
彼女のお顔は阿修羅にとってさえ恐ろしく、彼女は神を憎む者どもすべてに対して容赦ない。というのも彼女は、戦うことにかけてはひるんだりすることの決してない、諸々の世界を守護する戦士であるからだ。
彼女は、どんな不完全をも容赦せぬ者として、人間の内に潜む意気地なさにはどんなものにも手荒く当たり、迷妄と不明瞭の内に頑迷に立てこもる者には厳しく当たる。裏切り、欺瞞、怨みなどに対する彼女の怒りは、間髪を入れぬ、陰惨にして苛烈なものである。悪意などは、瞬時にしてたたきつぶされてしまう。神の使命を遂行するに際して、無関心、投げやり、ものぐさなどが見られようものなら、黙ってはいない。寝ぼけ眼のうっかり者や、やる気のない怠け者には、必要とあらば鋭い痛みをもって直ちに強打する。
歯に衣を着せぬ迅速にして率直な衝動こそ、遠慮のない絶対的な運動こそ、炎となって燃え上がる高く切なる願いこそが、マハーカーリー(偉大なる力の女神)の身上なのだ。彼女の毅然たる精神は、決して懐柔することのできぬものであり、彼女の高く遙かなヴィジョンと意思は、大空を飛ぶ鷲の飛翔のごときものであり、彼女の歩みは足早に高みを目指す。
そして彼女の両手は、衆生を打ち据え、助けださんと、いっぱいに広げられている。というのも彼女は「母なる神」でもあるからであり、彼女の愛は強烈なものであり、深く情熱的な優しさを、一人胸に抱いているからだ。
彼女が力をもって介入するときには、障害や、道を求める者に襲いかかる敵などは、あっけなくバラバラにされてしまう。
彼女の怒りが、敵対者達には恐ろしく、彼女の激烈な励ましと強制が、軟弱な臆病者達には苦痛なものであっても、彼女は、偉大な者たち、強靱な者たち、高貴な者たちからは、愛され、あがめられている。それは、彼らが次のように感じているからに他ならない。すなわち、彼女の強打こそが、自分たちの不完全な真理を激しく打ち据えて、それを力強く完全な真理へとたたき直してくれるのであり、彼女の強打こそが、ねじれてゆがんだものをまっすぐに打ち直してくれるのであり、彼女の強打こそが、不純なものや欠陥のあるものをたたき出してくれるのだ、と。これらが彼女にとってそれらは一日でなし得るものであっても、私たちの力だけでは何世紀もの年月を要したであろう。
彼女は、叡智には揺るぎのない圧倒的な力を与え、美や調和にはそれらをより高める動きをもたらし、時間のかかる難しい作業にはそれを短縮してくれるような弾みを授けてくれる。至高のエクスタシーはこの上もなく高まる。
彼女と「至高者の勝ち誇った力」は常に一体であり、後からではなくまさに今ここで、偉大な業績が成し遂げられるのだとしたら、それは他でもなく、彼女すなわちマハーカーリー(偉大なる力の女神)の、瞬時にしてメラメラと燃えさかる、炎のような情熱のおかげなのである。