死を思う
私は今日明日にでも死ぬでしょう。
でももし私が生きられるとしたら
それは神の意思により、何かやるべきことがあってのことだから
喜んで受け入れましょう。
しかしそれ以外のこの世への執着はいりません。
死ぬのだから。
この世が永遠に続くなら、多くのものに執着しましょう。
しかし私は死ぬのです。
だから今、すべてを捨てましょう。
人は死ぬときに、「すべてが私から去っていく」と言って嘆き悲しみますが、
今すべてを捨てるなら、永遠の幸福を発見するでしょう。
もう死ぬのだから、真剣に修行しよう。
もう死ぬのだから、何に対してもこだわりはありません。
もう死ぬのだから、人からよく見られたいという思いもありません。
もう死ぬのだから、新たな執着を作り出すような真似もしません。
もう死ぬのだから、きっぱりとエゴを振り捨てましょう。
もう死ぬのだから、何が起きるのだろうと気にしません。
もう死ぬのだから、自己のカルマを受け入れ、すべてを神の愛と見て受け入れます。
もう死ぬのだから、心のままに自然に振舞います。
もう死ぬのだから、その心を浄化・純粋化することだけに力を注ぎます。
もう死ぬのだから、素直になって、全世界に慈愛を向けます。
もう死ぬのだから、とにかく今を真剣に生きましょう。
-
前の記事
サラハの「人々のためのドーハー」 (1) -
次の記事
サラハの「人々のためのドーハー」(2)