yoga school kailas

放棄、奉仕、神の自覚

 ある時、18歳の若い信者が、ブラフマーナンダにイニシエーションを受け、出家して僧院に入りたいと懇願しました。しかしブラフマーナンダは彼を見て、まず大学を卒業せよ、と指示しました。
 しかしその若者は大学在学中に、イギリス政府を倒そうという革命運動に巻き込まれました。しかし霊的生活への興味も失ったわけではなかったので、彼はクリスマス休暇にベルル僧院を数日間訪れ、ヴィヴェーカーナンダの弟子であるスワミ・シュッダーナンダについて、ヴェーダーンタ哲学を学びました。
 このときシュッダーナンダはこの若者に、出家して僧になりなさいと、繰り返して進言しました。以前は自ら僧になりたいと懇願していた彼でしたが、いまや政治闘争で頭がいっぱいだった彼は、シュッダーナンダに反論しました。彼は僧の生活は怠惰だと感じていました。イギリス政府を倒すために、僧院にこもるのではなく、政治闘争に身を捧げなければいけないと思っていたのです。この二人の論争を、一人の老紳士が、そばでいつも何も言わずに聞いていました。
 ある朝この若者がブラフマーナンダの部屋に朝の挨拶をしに行くと、そこにその老紳士もいました。すると老紳士がブラフマーナンダに、
「このお若いのは、いつ僧になられるのでしょうか?」
と尋ねました。ブラフマーナンダは、忘れることのできないやさしい目で若者を見て、静かな口調で言いました。
「主の思し召すときに。」
 ――この瞬間、この若者の政治闘争は終わりを告げました。彼の心はすっかりもとの純粋に神を追求する状態に戻り、そのまま僧院にとどまり、出家して僧になったのでした。

 このような例は決して珍しい話ではなく、当時多くの政治闘争に関心を持つ若者たちが、ブラフマーナンダに会って、放棄、奉仕、そして神の自覚という霊的理想をインスパイアされました。インドの目覚めは決して政治運動によってはもたらされない、民族の霊的生活の強化によってのみそれはもたらされ、しかもこの目覚めはインドのみならず全人類を益するものなのだ――ということを彼らは理解し始めたのでした。
  

(「ブラフマーナンダの生涯」より)

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